娘が生まれて、状況は好転する
27歳のときに、娘を産んだ。夫も大喜びで、両家の親たちも産院にやってきた。
「あれが一番誇らしい瞬間でした。でも当時は、“男の子を産むことが嫁のつとめ”という意識が強かった。最初に“元気な女の子です”と言われ、嬉しいのに“なんだ〜”って思っちゃったことは事実です。私はずっと優等生だったので、期待に応えたいと思ってしまうんです」
とはいえ、娘は可愛らしかった。聡明で優しく、一緒にいると心を満たしてくれ、癒された。それが一転するのが「魔の2歳児」と呼ばれるイヤイヤ期だ。
「何をしても“イヤ”と言うんです。ご飯は食べず、おやつも食べず、公園に行くのも“イヤ”と言う。私のことも“イヤ!”ですからね。かんしゃくを起こして火がついたように泣き出したり。私はあのとき、ノイローゼのようになり、死ぬことばかり考えていました」
当時は「母親が自己犠牲を払って当たり前」という時代だ。子供を愛さない母親は非難の対象になる。朋恵さん自身も、娘を愛せない自分を責めていたという。
「寝顔は天使のように可愛いのに、イヤイヤ言ってギャンギャン泣いて私を悩ませる。夫に話したくても、研究所に泊まり込みで帰ってこない。顔を合わせても“朋恵に任せる”と寝てしまう。寝ている娘に対して、“あなたなんて産まなければよかった”“あなたがいなければ、ママは働けたのに”と言っていたんです。眠っているから、耳に入っていないと思っていました」
そのうち、娘も幼稚園に通い始めて落ち着いた頃、男の子が生まれる。この子はひたすら愛らしかった。
「夫にそっくりなハンサムな男の子で、娘のときとは全く違い、ただただ可愛かったんです。子育てに慣れ、夫の仕事も安定し、落ち着いた気持ちで愛し育むことができました」
娘は4歳、自分はイヤイヤ期に母親から距離を置かれていた。その2年後に弟がやってきて、弟は愛でるように母にお世話されている。
「娘が私に甘えようとすると、“あなたはママのことを100回くらい“イヤ!”って言ったのよ。と遠ざけました。私の愛を欲しがる様子に“ザマアミロ”と思ってしまったんです。今の育児での禁句“お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい”を毎日何回も言っていた。そのうちに娘も親より友達と一緒にいる方が楽しくなり、気がつけば大人になっていたんです」
とはいえ、朋美さんは育児放棄をしたり、娘に対して無関心だったわけではない。希望する習い事には行かせ、応援した。
「娘に言わせると、“それは親として当たり前”なんですよ。娘は思春期に摂食障害になるのですが、それは私が娘に与える愛情が歪んでいたからですよね」
【大学卒業後に「あなたには、もう2度と会いません」と宣言される……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。