「孝行のしたい時分に親はなし」という言葉がある。『大辞泉』(小学館)によると、親が生きているうちに孝行しておけばよかったと後悔することだという。では親孝行とは何だろうか。一般的に旅行や食事に連れて行くことなどだと言われているが、本当に親はそれを求めているのだろうか。
ここでは家族の問題を取材し続けるライター沢木文が、子供を持つ60〜70代にインタビューし、親子関係と親孝行について紹介していく。
都内で飲食店を営む芳恵さん(77歳)は、「子供は3人産んだけれど、いちばんバカだった次男坊が、今では親孝行なのかもね」という。彼女は22歳で長男、25歳で長女、30歳で次男を産む。この次男坊は中学時代から登校拒否と家出を繰り返すが、家族の支えもあり、名門大学附属高校に合格する。前編では40代前半の芳恵さんの身に降りかかる苦労について紹介した。夫の病、実家の家業の縮小、3人の子供の莫大な学費などが芳恵さんの肩にのしかかっていた。
【これまでの経緯は前編で】
次男は高校1年生のとき、校内喫煙で停学
次男は不登校だったので、近所から「親の愛情不足だから、学校に行けなくなったのよ」と好奇の目に晒されていた。
「当時は“登校拒否”と言っていました。まあ、本当にひどいことを言われ、馬鹿にされていたから息子が大学附属高校に受かったときは鼻高々。私も45歳で若かったから、自慢しまくっちゃってね。それなのに、5月に学校内で喫煙して、2週間の停学。近所の物笑いの種ですよ。このまま卒業できなければどうしようなどと、悩みまくっていました」
当時、未成年の飲酒や喫煙について、現在よりも意識は低かった。それでも処分はされるほど問題視はされていた。
「毎日、近所の神社に行き“あの子が登校拒否しませんように”と祈っていました。それからも、他校とのケンカ、ピアス、喫煙などで停学と厳重注意をもらうもなんとか卒業。成績も悪く、推薦資格がもらえず別の大学に行ったんですが、そうしたら銀座のホステスの家に転がり込み、学生結婚するというんです」
社会人になっていた長男と長女は「ほっておきなよ」と言ったが、芳恵さんは相手の女性のところに直談判に行く。
「手切れ金として50万円を用意しましたよ。当時は、“男が責任とる”という時代だったんです。曙橋の豪華なマンションに行くと、ものすごい汚い部屋から息子が下着姿で出てきました。そして“ババア、帰れよ!”って、私に靴を投げつける。相手の女性が息子を制してくれて、“あなたの御坊ちゃまとは結婚しませんよ”と。その女性はすでに、エリートと結婚が決まっており、息子の方が遊びだったみたいです」
他にも警察沙汰になることなども多々あり、息子は大学を中退する。3人の子供を大学まで出すことを生き甲斐にしていた芳恵さんは、心労で寝込む。50代でさらに乳がんも見つかり、術後の経過が悪く、生死の間をさまよったこともあった。
「50代は父が亡くなり、母は認知症になり、私も病気になりました。主人がなんとか店に出てくれましたが、私がいないと売り上げが下がる。長男と長女は結婚もせずに実家に住み続け、独身貴族を謳歌している。私が入院しても見舞いに来ない。実家にお金も入れずに、ウチにある食べ物をバクバク食べている。私が主人にグチをこぼすと、“芳恵ちゃんも、同じことしてたじゃない”って(笑)。確かに、私もずっと実家で両親に子育てを手伝わせて、家賃も払わずにのうのうとしていました。でも私はママの仕事を手伝っていましたけどね!」
夫の一言で気持ちが切り替わった芳恵さんは、スナックの仕事に本格復帰する。長男と長女は独身のまま、近くにマンションを購入して家を出る。次男は大学中退後、定職に就かずフラフラしていたが、38歳のときに小学校の同級生と結婚。相手の女性には連れ子がいた。
「次男は18年もろくに連絡もせず、あっちの女、こっちの女とフラフラしていたんですよ。ヒモみたいなこともやっていたみたいです。そんなバカ息子が、伴侶を見つけてよかったと思うと同時に、なんで子供がいる女と結婚するんだと思いました。それに嫁が38歳では、孫は望めない。私たち世代は、35歳が妊娠が望める最後の年齢という思い込みがあるんです。そこで、がっかりしていたら、“彼女のお腹には俺の子がいる”と。あのときは嬉しかったですね。全てが吹っ飛ぶくらい嬉しかったんです。子供の頃に父が食べさせてくれた、ハーシーのチョコレートくらいの衝撃でした」
芳恵さんは夫にも言わなかったが、孫を渇望していた。それが、諦め切っていた次男から朗報がもたらされたのだ。
「私の両親や祖父母は本当に素晴らしい人だった。それに、主人も努力家で優しくて辛抱強い人です。そんな彼らの血を引く存在が欲しかったんです。いざ、生まれてみると孫はかわいい。とにかく満たされる。孫が生まれてから、お嫁さんと接してみると、普段でも、あれこれと気がつき、人柄も素晴らしいんです。実は、お嫁さんの実家は地主で、母親がお嫁さんだった。なのでお嫁さん自身は母親とおばあちゃんとの間に挟まれて育ったり、父親の兄弟の遺産相続に巻き込まれて苦労している。私の主人のこともよくケアしてくれて、7年前に亡くなったときも、孫を連れて様子を見に来てくれました。近所に住んでいても、なかなかできることではありません」
【家族がいると人生は変わる、次男は40歳で初の正社員勤務をする……次のページに続きます】