ここでは家族の問題を取材し続けるライター沢木文が、子供を持つ60〜70代にインタビューし、親子関係と親孝行について紹介していく。
2024年5月14日に警察庁は、自宅で亡くなった一人暮らしの高齢者(65歳以上)が、2024年1~3月間で約1万7千人確認されたと発表。このまま推移すれば、年間約6万8千人の高齢者が独居状態で亡くなるという。
なぜ、こんなことになるのだろうか。およそ40年前の高齢者の生涯未婚率は低く、1980年は男性2.6%、女性4.5%だ。2020年の生涯未婚率が男性28.3%、女性17.8%であることを考えると、当時は「結婚して当たり前」という社会だったことがわかる。
都内近郊に住む専業主婦の朋恵さん(74歳)は「伴侶が先に亡くなり、子供と絶縁状態なら孤独死にもなりますよ。私も覚悟はしています」と話す。彼女は昨年、5歳年上の夫を送り、現在は一人暮らし。47歳の娘と42歳の息子がいるが、娘とは1年前まで20年ほど、音信不通だったという。息子は米国人と結婚し、欧州で暮らしている。
【これまでの経緯は前編で】
娘が「私の母は毒親」と情報を発信
朋恵さんは、娘が2歳のときに訪れたイヤイヤ期で、娘に愛情が持てなくなってしまった。研究職の夫は滅多に家に帰って来ず、孤独な育児を強いられていた。そして、娘が4歳のときに待望の長男が誕生し、溺愛するようになる。
とはいえ、朋恵さんは育児放棄をしていたわけではない。娘の食事や身の回りの世話をし、挑戦を応援し、大学まで出した。しかし、娘の心には「母に愛されなかった」という思いがくすぶり続けた。
「娘は大学の卒業式の後、私に“あなたにはもう2度と会いません”と絶縁宣言をしてきたんです。娘は高校時代から気まぐれで家出をしたり、友達の家に泊まり歩いていたので、“あらそう、勝手にしなさいよ”と言いました。当時、私はそれよりも、息子の大学受験が大変だったので」
娘は勉強が得意ではない。夫も「女の子なんだから、いい大学は行かなくてもいいだろう」と女子大付属の中学に入れ、娘はそのまま卒業する。一方の息子は勉強が得意だった。日本最難関の大学を狙い、高校1年生から猛勉強をしていたという。
「そこは夫が目指していた大学なんです。息子も父の夢を背負っていた。夫は息子にはとても期待をして、サポートしていました。結局、息子は国立に落ちて、夫と同じ大学に進学したんです」
娘は常に疎外感を覚えていたことが、絶縁に繋がったのかもしれない。娘の覚悟に比べ、母親・朋恵さんの認識は軽かった。単なる家出だと思っていたら、娘は携帯電話の番号を変え、住民票を移し、戸籍からも分籍していた。
「それにショックを受けて、勤務先に連絡したら“転職した”と言われて追い払われる。どうしたものかと思っていたら、私の妹から“連絡は取れているから心配しないで”と言われてホッとしました」
娘は新卒で入ったIT関連会社を1年で辞め、飲食店のアルバイトとして働いていた。やがてそこの店主と同棲し、その他の店も手伝うようになる。そんな生活が4年間続いたという。
「いい会社に入ったのに、何で接客なのかと。私のように家庭に入ったって、接客の仕事はできるじゃないですか。キャリアを積む時期に、何をしているんだって思いました。やがて、それも辞めて、主婦みたいなことをしているという。その男性と別れた後も、別の男のところを転々としているというのも、許せなかった。悔しさで夜中に飛び起きたこともありました」
そのとき、朋恵さんは「そんなキャリアを積ませるために、大学に出したのではない。今の生活を続けるなら、これまでかかった学費を返しなさい」と、娘に手紙を送る。それは返済を求めているのではなく、「会社員として定職に就きなさい」というメッセージだった。
しかし、娘は「学費を返しなさい」の部分だけ切り取って受け取った。そして、SNSに「私の母は毒親だ」というメッセージを発するようになる。朋恵さんは内容を見ていないが、相当ひどいことが書かれていることは、その内容を見た息子の様子からわかったという。夫は娘には無関心だった。
【ずっと独身だった娘に変化があり、20年ぶりに……次のページに続きます】