嫁たちの義母へのアピール競争には不戦勝
嫁たちの義母へのアピール競争から諒子さんは離脱した。理由は妊娠を機に体調不良が続き、帰省することができなくなったから。正当な理由で帰省から解放されたと思っていた諒子さんだったが、初孫に浮かれた義母が自宅に来るようになってしまったという。
「私たちにも、義弟夫婦にも子どもがいなかったんです。義弟夫婦たちの子なしの理由は知りませんが、私たち夫婦は妊活をしていたんですが、なかなか授からなくて。私たち夫婦は不妊治療を始めて、38歳のときにやっと妊娠することができました。やっと授かった子どもなので、何があっても守り抜きたかったんです。少しでも体調が悪いと感じると、とにかく安静に、自宅に籠るようにしました。
その事実を知った義母が、大型連休に関係なく自宅に来るようになったんです。義実家は遠方なので、もちろん泊まりで。いくら『ゆっくり休んで』と言われても、無理ですよね。義母に気を張り続けたからなのか、体調を崩して出産前に入院することになりました。夫は役に立たないので、お医者さんに頼んで義母が毎日お見舞いに来るのを阻止してもらったほどです」
諒子さんは無事女の子を出産。義母は出産後にも諒子さん夫婦の自宅に居座り、ほぼ毎日のアポなしの見舞いが続いたという。その後、諒子さんの体調が戻れば義母のお見舞いは落ち着くかと思ったが、自宅訪問が落ち着いたのはコロナ禍の緊急事態宣言のときだけだった。
「私の体調が悪いと栄養の多いものを無理やりにでも食べさせようとしたように、『母親が虚弱体質だから』と娘にも栄養価の高い食べ物を強いるんです。それだけではなく、子どもの服装や、習い事などにも口を出してくるようになっています」
このような義母の過干渉により、諒子さんは嫁たちの義母へのアピール競争に一人勝ちとなっていた。諒子さんという敵ができると義弟の嫁たちは団結、今義実家に帰省するのはさらに辛い状況になっているという。
調査にもあったように、義親からの干渉をされることを嫌だと感じる人が一定数いる。義母たちもかつては嫁として過ごした経験があるはずなのに、同じことが繰り返されてしまう。今は夫だけ帰省する家もあるそうだが、行かなければ来てしまう行動力のある義母からは逃れるのは難しそうだ。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。