伴侶は欲しいが、子供は不要
定年が7年後に迫っているのに、父親になってしまった。経済的にも厳しいが、精神的にもつらかったという。
「女性にとって、出産直後のサポートをしていないのは、激しい恨みになるとわかっていました。というのも、前妻が2人の子供を出産したとき、私は仕事人間だったから。男は黙って働き、妻子に不自由ない生活をさせることが責務だと思っていた。まあ、妻にしてみても、男に口も手も出されたくないだろうと思い、丸投げしていたんです」
当時の豊夫さんは、連日接待などで午前様、休日出社は当たり前。たまの休みはゴルフに行くなど、完全に会社に忠誠を誓っていた。
「上の息子が小学校に入ったときに、運動会や学芸会に行かなかったんです。正直、全く興味がなかった。自分の子供が出る十数秒は見たいと思いますが、そのほかは他人の子供。そんなことに時間を費やすなら、仕事をしていたほうが家族のためになる。元妻はそんな私に対して、婉曲に嫌味を言っていたんです」
前妻は息子に「パパはあなたたちより、仕事が好きなんだって」「パパが愛しているのは会社」など嫌味を繰り返し、豊夫さんが「そんなことはない」と言うと、妻は我が意を得たりとばかりに食ってかかった。
「妻がいつまでも恨み言と嫌味をいうので、たまりかねて別の女性のところで浮気をしてしまったんです。その証拠や証言を取られて、私は苦しい離婚をした。だから今回は同じ轍は踏まないと、夜泣きの娘にミルクをやり、おむつを替え、お風呂も入れたんです」
それが、53歳の豊夫さんに堪えた。会議中にボーッとしたり、部下の管理が行き届かなかったりして、役員候補と言われていたにも関わらず、同期の男性が取締役になってしまった。
「あいつが子供さえ生まなければ……という思いがありました。僕は、伴侶は欲しかったけれど、子供は不要だったんです。前妻の2人の息子の養育費を払い終わった後に、なんでまた金食い虫をしょってしまったのかと思いました。ただ、身に覚えがあるだけに逃げられない。妻は娘に夢中になり、私のことに興味を示しません。ひとつのことしかできない人なんですよ。男というのはATMであり壁なのではないかと思っています」
【飲酒の強要、見せしめの叱咤、パワハラをしていた後輩が上司に……後編へと続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などに寄稿している。