はじめに-初とはどんな人物だったのか?
初(はつ)といえば、浅井三姉妹のうちの次女です。長女・茶々は豊臣秀吉の側室であり、三女・江は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の正室であったため、三姉妹の中ではやや影が薄いと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
初とは、実際どのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
NHK大河ドラマ『どうする家康』では、大坂冬の陣で講和の使者を務める、浅井三姉妹の次女(演:鈴木杏)として描かれます。
目次
はじめにー初とはどんな人物だったのか?
初の生きた時代
初の足跡と主な出来事
まとめ
初の生きた時代
初が生まれた年代は、定かではありません。茶々が永禄10年(1567 ※永禄12年説もあり)生まれ、江が天正元年(1573)生まれということを考えると、その間の年代であることはわかります。
天正元年(1573)には室町幕府が滅亡し、その後、初の伯父に当たる織田信長が戦国動乱を終息させます。後を継いだ豊臣秀吉が天下統一を成し遂げていく中で、姉の茶々は秀吉の側室となりました。こうした日本史の大きな流れに、初も深く関わっていくこととなるのです。
初の足跡と主な出来事
初の生年は不詳ですが、没年は寛永10年(1633)になります。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
小谷城城主・浅井長政とお市の次女として誕生
初は、近江(=現在の滋賀県)小谷城城主・浅井長政(あざい・ながまさ)と織田信長の妹・お市の次女として誕生します。名は、初(または発)と言いました。諱は藤子です。姉に茶々(淀殿)、妹に江(のちの崇源院)がいます。
天正元年(1573)8月、初の住む小谷城は伯父の信長によって包囲されます。落城に際し、初は、母・お市と姉妹とともに脱出。その後は、清洲城で育てられたと言われています。
母に従い越前北ノ庄へ…
天正10年(1582)、本能寺の変により信長が自害。その後、母・お市は、信長の有力家臣・柴田勝家に再嫁することになりました。初たち3姉妹は、母・お市について、勝家の居城・越前北ノ庄(きたのしょう)へと移り住むのです。
しかし、翌天正11年(1583)、勝家は賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで秀吉に敗北します。この時、母・お市は勝家に殉じて自刃してしまいました。
その後、初ら3姉妹は、秀吉に保護され、引き取られます。
従兄の京極高次と結婚
初は、近江大津城主(のちに若狭小浜城主)・京極高次(きょうごく・たかつぐ)と結婚します。彼は、初にとって従兄でもありました。
慶長3年(1598)8月には、豊臣秀吉より近江蒲生郡のうち2,040石あまりを与えられました。
その後、徳川家康の命により、妹・江の娘(のちの興安院)を養女として育てることに。彼女は、のちに初の子・忠高の妻となりました。
慶長14年(1609)、高次が病のため亡くなり、嫡男である忠高が跡を継ぎます。初は、剃髪をして常高院と号するようになりました。
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