取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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コロナ禍がある程度収束し、各地でアイドルのイベントが行われている。アイドルとは「恋愛感情を持つ熱狂的なファンが大多数の歌手やタレント」だという。芸能事務所からデビューするアイドルもいれば、自主活動を続ける「地下アイドル」も多い。かつてアイドルといえば、14~15歳で舞台に立つイメージがあったが、アイドルイベントのポスターを見ていると、明らかに小学生児童の姿も目立つ。彼らは「幼児アイドル」「キッズアイドル」などと呼ばれ、大人の男性のファンが熱狂している。
いったいどんな子供たちなのかとライブに行くと、8~10歳くらいの女の子が、露出多めの衣装を着て、歌い踊っていた。周囲には30~50人ほどの、大人の男たちが声援を送っていた。
今回、話を伺った澄恵さん(56歳・会社員)は、孫がコロナ前までアイドル活動をしていたという。「まともな神経ならできませんよ」と語る実態を聞いた。
夫の暴力と姑のいじめが激しく、娘を捨てて逃げた
澄恵さんは都内の食品卸会社で事務として働いている。総白髪を無造作に結び、整った顔立ちがきりっとした印象だ。生活感が薄く、子供や孫がいるとは思えない。
「孫娘はね、もう14歳なの。今は太って、不登校っぽいの。幼いころから娘が“この子をアイドルにする”と躍起になって、とんでもないことをさせていたから、疲れたんでしょう」
澄恵さんは56歳だ。孫が14歳ということは42歳で“おばあちゃん”になったということになる。
「うちはちょっと複雑で……私が娘を産んだのが、22歳のとき。18歳のときに地方から出てきて、喫茶店の住み込み店員をしていたわけ。当時の高卒就職者って、寮生活して働くことが多かった」
衣・食・住が保証されている環境で、職場と寮を往復する生活を続けた。そして、あるときディスコに行く。
「そこで、元夫に会って付き合うようになって、妊娠しちゃった。当時、大学生の彼は驚いていたけれど“僕が卒業したら結婚しよう”と言ってくれた。でも2人とも子供だから、彼の実家に住むしかないわけ。ヒステリーのお義母さんと、なに考えているかわからない無口なお義父さんと私たちの生活は、すごく大変だった」
妊娠8か月になると、仕事を辞めた。1日中、そりが合わない義両親と一緒にいて、「あなたがふしだらだから、ウチの息子が若くしてパパになった」「赤ちゃんを産んだら、あなたはどこかに行けばいい」などといじめられた。
「思い出すと叫び出したくなるから、その頃のことはこれ以上話さない。そのうちに彼も親と一緒に私をいじめるようになった。体重が40キロを切ったときに、“このままでは殺される”と、3歳の娘と離婚届を家に置いて、逃げたの。娘って言ったって、私はろくに抱っこもさせてもらえなかったから、“我が子”という実感はなかった」
25歳の澄恵さんは、さまざまな仕事を転々として、一人で生きてきた。
「自由って素晴らしいと思ったし、バブルだったからいくらでも仕事はあった。あの家にいたら、常に見られていて箸の上げ下げにも文句をつけられ、掃除や料理は無料労働でダメ出しばかり。でも外なら給料がもらえるんだもの」
それから13年間、ほとんど娘のことを思い出さなかったという。
「お義母さんが“完璧な子育てをする”と張り切っていたから、いいかと。そしたら、ある日家に帰ると、女の人がアパートの前にいる。“澄恵さんですか”と言うから頷くと“私、娘です”と。家に上げて話をすると、義父母と夫は門限の設定や、付き合う友達の制限など、かなり厳しく監視していた。娘はお小遣いをもらえないので援助交際をしており、子供ができたみたいだと」
澄恵さんは真っ青になって、産婦人科に連れて行ったら、幸いにも妊娠陰性。娘を家に帰そうとしたら「ここにいたい」と言う。
「私の住所は、実家の兄から聞いたと言っていました。仕方がないので居候させてあげたんですが、そのうち出て行ったのでホッとしました。それから4年くらいしたら、孫を連れて来たんです」
【娘は交際していたダンサーの子供を産んだ……次のページに続きます】