取材・文/柿川鮎子

人間では当たり前に処方される漢方薬。その効き目を実感したことがある人は多いはず。副作用が少ないといわれ、人間の自然治癒力を高める漢方薬は、人間だけに効果があるものなのだろうか。

今回は獣医療でも積極的に漢方を取り入れている神奈川県藤沢市のむつあい動物病院の院長・金井修一郎先生に、ペットの漢方について教えてもらおう。ペットに漢方薬を処方したいと考える飼い主さん向けに、実際にペットへどのように漢方薬を用いているのか聞いてみた。

北京獣医師大会で犬の腫瘍に漢方治療を用いた症例を発表

――はじめまして、金井先生! 先生はペットの診察に漢方薬などの東洋医学的な診療を取り入れていますが、まずはご経歴と、東洋医学に興味を持ったきっかけ、そしてどこで学んだのかを教えてください。

金井先生 私は日本大学農獣医学部(現生物資源科学部)獣医学科を卒業後、一次診療や夜間救急の動物病院、日本大学動物病院の専科(外科、一般内科)研修医などを経て、2007年に日本大学のすぐ近くに“むつあい動物病院”を開業しました。

2020年に日本大学にてイヌの糖代謝に関する研究で博士(獣医学)を取得、現在は、研究員として日本大学の獣医生化学研究室で研究活動を行ない、卒業生として獣医学科で講義もしております。

北京獣医師大会にて口頭発表。

――東洋医学に興味をもったきっかけを教えてください。

金井先生 まず自分自身が漢方薬を飲んで調子が良くなった経験が何度かあります。こんなに良いものなら、動物にも使ってみたいと思いました。

また子供の頃通っていた空手道場や大学のキックボクシング部で指導者から、ただやみくもに練習をするだけでなく五臓を意識して体のバランスを整えることが大事だとたびたび言われました。そんなこともあり、陰陽五行の東洋医学的な考え方に興味を持ちました。

――実際にはどのように東洋医学を学ばれたのですか?

金井先生 獣医師免許取得後に偶然、恩師から学生の海外中獣医学実習の手伝いを頼まれ、長春農牧大学(1995年、中国)、フロリダ大学(1998年、米国)で実施された日本大学中獣医学実習に参加して、学生と一緒に漢方薬、鍼灸の講習を受けました。

その後も通常の西洋医学的な診療の傍ら人の漢方薬セミナーや、獣医師向けの東洋医学、中医学の学会、研究会などの講習を受講し、中医学アドバイザー(日本ペット中医学研究会)、漢方養生指導士(日本漢方養生学協会)、国際中医師(世界中医薬学会連合会)の認定資格を取得しました。2019年には、北京獣医師大会に派遣講師として犬の腫瘍に漢方治療を用いた症例を発表しました。

治療は「病気そのもの」ではなく「病気を持つ人」が対象の東洋医学

――東洋医学についてもう少し詳しく教えてください。

金井先生 東洋医学という言葉は、西洋医学に対する医学の総称で中国伝統医学である中医学、日本に伝わり発展した漢方医学やアジアの様々な地域の伝統医療が含まれます。私は中医学理論をもとに漢方処方、鍼灸治療、食事指導(薬膳)などを行うため中医学的診療という言葉をよく用います。

西洋医学では病気になったらその原因を探り、治療します。西洋医学では「病気そのもの」が治療のターゲットですが、東洋医学では「病気を持つ人」を治療対象と考えます。

例えば下痢をしている場合、西洋医学では便や血液、レントゲン・エコーなどの検査を行ない、細菌や寄生虫の有無、炎症、貧血、脱水の程度、内蔵の働きの異常などを探り、必要ならば抗生物質、駆虫薬、消炎剤、止血剤、点滴などの治療を行ないます。東洋医学では、下痢を起こしているその人の状態を重視します。

ペットが同じ様に下痢を起こしていたとしても

(1)体が冷えていて食欲、元気が無い。皮毛にツヤが無くやつれている。
(2)体が熱く落ち着きがない。食欲があり元気だが水をよく飲む。

どちらの状態なのかによって治療方針は異なります。

東洋医学の基本的な考え方の一つに、“陰陽”という世の中のすべてのものを“陰”と“陽”に分けるというものがあります。上記の例では、(1)は“陰”にあたるので、体を温め栄養を補う治療が必要、(2)は“陽”なので、熱を取り、潤す、心を落ち着ける治療が必要となります。

このように同じ病名でも治療が異なるものを、東洋医学では同病異治といいます。これとは反対に、違う病気でも治療法が同じものを異病同治といいます。また機会がありましたら解説いたしますが、東洋医学は個々の状態に着目して、崩れたバランスを整えることを重視します。

「第48回ima展」で東京都議会議長賞を受賞した金井先生の作品「猫と仏像」

獣医学部での漢方教育はまだ行われていない

――これまでペットの漢方薬はあまり処方されたことがありません。普及しない理由は何でしょうか?

金井先生 普及しない理由は様々あると思いますが、獣医師が免許を取得するまでに漢方の知識は必要が無く、学ぶ機会が無いことが大きな要因と考えられます。医学部では必修の項目として漢方の授業がありますが、獣医学部にはありません。大学独自で希望者向けのセミナーを行うところもあるようですが、まだまだ獣医学生全体にまでは漢方の情報は普及しておりません。

現在、動物病院で漢方治療を提供される先生は、私も含め獣医師免許取得後に自主的に勉強された方がほとんどで、その割合は決して多いとは言えません。また知識レベルも本などで漢方のことを何となく知っている方から、研究会などで勉強されて資格を取得、実際に症例発表をされるような方まで様々です。きちんと勉強をしている先生が自信を持って動物の診療に用いて実際に効果が出れば、もっと普及するのではないでしょうか。

日本大学中獣医学実習で使用したテキスト。

併用すれば抗がん剤治療などにも効果があるペットの漢方治療

金井先生 ペットの病院全体ではまだまだ漢方治療は普及しているとは言えませんが、実際に治療を取り入れている獣医師の間では様々な疾患において効果があった症例が多く報告されています。

私が所属する日本ペット中医学研究会では、毎年多くの漢方関連の症例報告が集まり、優秀症例については海外に派遣して学会発表しています。実際の使い方としては漢方のみで有効なもの、漢方を西洋医学的治療の補助に用いて有効なものなど様々な例があります。

ところで、未病という言葉をご存じでしょうか。検索すると「発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態」、「東洋医学で、病気ではないが、健康ともいえない状態」などの説明が出てきます。中国の古い医学書には「上工(優秀な医者)は未病を治す」、病気になってから治す医者より、患者の体質を考慮しながら病気を未然に防ぐ医者が優秀だという意味の言葉があります。

この未病のうちに治すことを未病先防というのですが、これには生活習慣・食習慣・環境の見直し、そして漢方が役に立ちます。実際に重い病気になる前に治るため、あまり効果が実感されないかもしれませんが、健康維持のための縁の下の力持ちのような頼りになる存在といえるのではないでしょうか。

また西洋医学的治療との併用で有効な例としては、病気の原因に細菌が関与していれば抗生物質でそれをやっつけて、漢方薬で一般状態を改善するような使い方があります。人の抗がん剤治療時に免疫力、体力維持のために併用が推奨されているような漢方薬をペットでも同様に用いて有効だった例の報告もあります。

漢方を利用したい場合はかかりつけの獣医師にまず相談

――ペットの体に負担が少ない治療という点はとても期待していますが、実際に使いたいと思ったときはどうすればよいのでしょうか。

金井先生 漢方薬は副作用が少ない安全な薬というイメージをお持ちの方が多いようですが、それは的確に使用した場合です。病状に合っていないもの、飲み合わせによってはむしろ状態を悪化させることもあります。漢方薬をペットに用いるには、東洋医学、獣医学双方の専門的な知識が必要です。

かかりつけの先生がいるなら相談してみるのも良いと思います。その先生ご自身が漢方治療をおやりにならない場合は、信頼できる先生を紹介してくださるかもしれません。

最近は、動物病院も人と同じように腫瘍科、整形外科、皮膚科、眼科といった専門性を持つところが増えてきています。私は、高度な検査・手術や専門的な治療が必要なペットが来院された場合は、すみやかに大学や日頃から獣医師会などでお付き合いのある専門家と呼べる先生をご紹介しています。逆に、漢方治療を希望している方が、他の動物病院から紹介されることもあります。

ペットの漢方治療を希望される場合、まずは実際に東洋医学・漢方を勉強している獣医師のいる動物病院に相談するのが安心だと思います。前述した日本ペット中医学研究会(https://j-pcm.com/)会員の獣医師は、定期的に中医師の講義を受講、漢方を用いた症例報告なども行なっていて、ペットの漢方治療の最新情報を持っていると思います。

ペットの健康のためのいろいろな引き出しに

――漢方処方を依頼するときの注意点は何かありますか。

漢方の薬棚(むつあい動物病院)。

金井先生 飼主さんに知っていただきたい西洋薬との一番の違いは、投与方法です。

例えば西洋医学では投薬の方法として内服以外に注射、点滴などをよく用います。ペットで内服が困難な場合には長期作用型の抗生物質などの注射を使うこともありますが、漢方薬の投与は内服が中心となります。何種類かの生薬(天然に存在する薬効のある物質:薬用植物、動物、鉱物)をブレンドしたものがいわゆる漢方薬(方剤)ですが、その形状は錠剤、粉薬(散剤)が主で液剤(シロップ)もあります。漢方薬のローションや外用薬もありますが使用範囲は限定されます。

漢方を処方してもらう際には、どうやって飲むのかを担当獣医師とよく相談してください。そのまま飲めるのか、つぶして液体に溶くのか、投薬補助剤、ちゅーる、オブラートなどを用いるのか、その子に適した方法を見つけましょう。また胃腸障害などがある場合、鍼灸治療を併用して胃腸の状態を良くする、どうしても必要な場合は吐き気を抑える西洋薬の注射を併用することもあります。

東洋医学的治療のポイントは飼い主さんからの情報

――ペットに西洋医療以外の選択肢として東洋医学的診療をお願いする場合のアドバイスをお願いします。

金井先生 東洋医学では個々の体質に合わせた、いわばオーダーメイドのような治療を行います。発症した臓器や症状だけを見るのではなく、その病気を起こした体質、環境、季節、きっかけなどを全体的に診て、崩れたバランスを整えます。

そのためには飼い主さんからの情報が大変重要です。最近引っ越した、家族構成が変わった、飼い主さんの生活リズムが変わったなど些細なことでも伝えてください。排泄物の写真や気になる症状の動画をお持ち頂くことも役に立ちます。東洋医学では舌の色・状態をみる舌診が重要なのですが、診察室だと口を開けてくれない、興奮して本来の色とは違ってしまう場合がありますので、落ち着いているときの舌の写真があると助かります。

東洋医学は前にも述べましたように未病先防を得意としています。検査値などがどこも悪くなくても、いつも一緒にいる飼い主さんだからこそわかる違和感があればお気軽に相談してください。

また実際に具合が良くなくて西洋医学的治療を色々やられている例でも、何か違う視点から役に立つ治療、補助に用いることが有効な治療が見つかるかもしれません。

まだ開けていない引き出しがあるのなら、どんな引き出しがまだ残っているのかのぞいてみてはいかがでしょうか。

――ありがとうございました。

むつあい動物病院(https://mutsuai-ah.com/index.html)院長
獣医師、博士(獣医学)、国際中医師
金井修一郎 さん

日本大学生物資源科学部研究員(獣医生化学研究室)
日本ペット中医学研究会常任理事
神奈川県獣医師会総務部会会報委員
国際現代美術家協会理事(油彩画)
日本大学キックボクシング部OB会副会長
*西洋医学的な健診もしております。
#HugQの健康診断体験記
https://www.hash-hugq.com/dog/article/detail/id=3215

取材・文/柿川鮎子 明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

 

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