「商売とは、感動を与えることである」
松下幸之助(まつした・こうのすけ)
家事労働が軽減され、暮らしに夢をもたらした
松下電器産業(現・パナソニック)を創業し、同社を世界的な総合家電メーカーに導いたのが松下幸之助である。全国の隅々まで販売網を張り巡らせて「経営の神様」と呼ばれたことは広く知られる。
「松下幸之助の転機になったのが、昭和26年(1951)の渡米ではないかと私は思っています」
そう語るのは、松下幸之助を生前から取材してきたジャーナリストの片山修さんだ。
「1950年代の米国は繁栄を謳歌していた時代、そこで幸之助が見たのは電気洗濯機や電気冷蔵庫といった家電製品が一般家庭に広く普及している光景でした。日本では金だらいで洗濯している時代です。これからは家電の時代だと、強く思ったことでしょう」
昭和30年代を迎えると、日本は高度経済成長時代に突入する。昭和31年、松下幸之助は「5か年計画」を発表、昭和30年の年商220億円を昭和35年には800億円にするというものだった。この計画は、ほぼ4年で達成したという。
「幸之助が描いた通り、日本に家電の時代がやってきたのです。当時は、電気冷蔵庫、白黒テレビ、電気洗濯機が“三種の神器”と呼ばれ、庶民の夢は家電製品に囲まれて暮らすことでした」(片山さん)
その夢の生活は、ほどなくして日本の家庭に行き渡っていく。家電は何をもたらしたのか、片山さんは次のように語る。
「洗濯機や炊飯器といった家電製品によって、主婦の家事労働が大幅に軽減されたことが最大の功績ではないでしょうか。家事に割いていた時間を、自分のために使うことができるようになったのです」
電気洗濯機 昭和26年(1951)
白黒テレビ 昭和27年(1952)
電気冷蔵庫 昭和28年(1953)
発売当初は高嶺の花だった「三種の神器」(※上画像は松下電気(当時)の1号機)も、大量生産により手の届く価格になった。「水道から水を飲むように、誰でも家電が使える社会を目指す。そんな『水道哲学』を幸之助は唱えました。その哲学を着々と実現させていったのが昭和30年代だったのです」(片山さん)
家電から「個電」の時代に
翻って現在の家電はどうなっているのか。片山さんはこう語る。
「海外メーカーの台頭もあり、日本の家電を巡る状況は様変わりしました。ロボット掃除機に象徴されるように、インターネットや人工知能と結びついた情報家電は増え続けます。これからは、冷蔵庫が食材を判別して、最適の健康メニューを個々に提案してくれるようになるかもしれません。家電ならぬ“個電”の様相は、今後ますます強まると思います」
解説 片山修さん(ジャーナリスト)
取材・文/宇野正樹 写真提供/パナソニック
※この記事は『サライ』本誌2022年12月号より転載しました。