慎み深く生きることに対する反抗心
皆と同じような行動をして、世間から注目されることを避ける英恵さんと、我が道を行く由貴子さん。水と油のような2人を友達関係にさせたのは高齢出産という共通点だった。
「私は娘の学校のママ友に、自分の年齢だけは知られてはいけないと思っていました。皆、私よりも10歳近く年下で、私だけが“おばあちゃん”と言われてもおかしくない年齢ですから。髪も染めて、体型にも気を使って、いつも若く見られるようにしていました。あるときの保護者会で、“あの人(由貴子さんのこと)、ああ見えて50歳なんだって”という声が聞こえてきたんです」
娘が10歳のときの保護者会で、英恵さんは48歳になっていた。周囲のママたちは40代そこそこ。圧倒的な若さがまぶしかった。また、私立は行事が多い。ママたちに会うたびに、コンプレックスは刺激された。
「そこに“由貴子さんが50歳”という情報が入ってきたのですから、一気に親近感を持ちました。言われてみると、由貴子さんも私も運動会の親子競技などでの成績が悪い。そこで思い切って話しかけたら、一気に友達になったのです」
知れば知るほど、由貴子さんは魅力的だった。
「誰もが知る名家の生まれで、慎み深く生きることの反抗心が強かった。大学を卒業すると家から出て、海外を放浪したこと。そこで出会った人が今のご主人で、子供を授かるつもりがなかったのに、“うっかりできちゃったの”と笑っていました。お嬢様も放任で育てていて、お稽古事などもさせていないと言っていたのです」
まさに、英恵さんと真逆。英恵さんの娘は、寝る間も惜しんで習い事に打ち込んでおり、当時、自らの体毛を抜くというクセがあったという。
「由貴子さんが気付いてくれて、娘に適切な医師を紹介してくれました。それから娘はまともに育っていたのに、高校を卒業して大学進学に失敗してからは、手が付けられなくなったんです。そのまま付属に進んでいればよかったのに、外部の大学なんか受けるから失敗してしまった。恥ずかしい話、プータローと言われる状態で、何を話しかけても“私がこうなったのはママのせい”と怒る。そこで由貴子さんに相談したんです」
【「あなたは正しいよ」と慰めてくれるはずなのに……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。