取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都内で一人暮らしをしている加奈子さん(仮名・38歳)。兵庫県出身で、両親と5歳上に兄のいる4人家族。転職をきっかけに上京して、そこから4年後に乳がんを発症します。幸いにも数日の入院と通院、投薬で大事には至らなかったとのこと。その事実を一切両親には伝えていないと言います。
「言わなかった一番の理由は、心配をかけるだけだから。お金なども自分だけで解決できるものだったので。大事には至らなかったといっても死へのリスクがある病気です。病気になったときに思ったのは『健康で産んでもらったのに申し訳ない』という気持ちでした。それに私が乳がんになったのは29歳で若年性というもの。医師から、何かしらのリスクはまだあって、再発の可能性もあると怖がらすようなことばかり言われたので、両親にはどうしてもその事実を伝えられませんでした」
両親、娘ともに「心配をかけないことが美徳」
上京してからも年に4~5回と頻繁に帰っていた加奈子さんですが、放射線治療の後遺症もあり、仕事が激務と嘘をついてしばらく帰省をやめていた時期もあったとか。しかし、今は投薬も終了して発症前と変わらない生活を続けられていると言います。
「私は放射線に肌が負けてしまって、半年ほど胸の黒ずみが取れませんでした。普段実家では、父親が寝てしまって母親だけのときはお風呂上りにパンツ一丁でウロウロすることもあって(苦笑)。自分の過去の行いから実家に帰れませんでしたね。
今は年に1回、血液検査、胸の超音波、マンモグラフィーという一通りの検査を受けていますが、順調です。来年で10年となるので、1年後には検査も一旦は終了になる予定です」
乳がんについて両親には今も黙っているそうですが、最近のコロナ禍で逆に打ち明けられなかった立場を体験したんだとか。
「両親はともに70代で、2回目の新型コロナのワクチン接種をつい最近完了しました。私は離れて暮らしているからもし副作用などが出てもすぐに駆けつけられないけど、親の摂取日を聞いてカレンダーの日付に〇をしたり、摂取後に電話やメールをして大丈夫だったかを聞いていたんです。
最初はどちらかの腕が痛いくらいの副作用だったと聞いていたんですが、後日母親が2回目の摂取の後に何度も嘔吐を繰り返して、入院していたことを知りました。言わなかった理由を聞くと『心配かけたくなかったから』と……。あぁ、私とまったく同じ気持ちだと思いました」
【親に本音を言えない自分が嫌で仕方ないものの……。次ページに続きます】