取材・文/ふじのあやこ

近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。

「私は以前、両親に自分の病気のことを内緒にしていたことがあり、それを親に伝えないことが良いことだと思っていました。でも、逆に親から同じことをされたら複雑な感情を覚えてしまって……。今さら親にどう接したらいいのかわからないのです」と語るのは、加奈子さん(仮名・38歳)。彼女は27歳のときに上京、今までは年に4~5回のペースで帰省していたそうですが、今はコロナ禍によって1年半帰れていないとのこと。

自由に育てられた幼少期。両親とも大好きだった

加奈子さんは兵庫県出身で、両親と5歳上に兄のいる4人家族。小さい頃から家族仲は良く、両親、特に母親のことは大好きだったとか。

「母親は明るい人で、家族の中心にはいつも母がいました。怒るととても怖いですが、普段はいつもニコニコしていて、父や私たちを褒めて伸ばすタイプで。私はよく料理を褒められていて、気づいたら私が晩ご飯を作るようになっていました(苦笑)。私の兄はすごく頭が良かったので、それを持ち上げられて母親の友人の子の家庭教師をボランティアでさせられていたり。父親はお酒好きで調子乗りなところがあって、母親が高い家電をおねだりするときにはめちゃくちゃ飲まされていましたね。私はおつまみ作りを協力していたので、高い材料を見ただけで母には何か欲しいものがあるんだなって思ったぐらいです」

両親の教えは「他人に迷惑をかけない」こと。それ以外は自由にさせてくれていたと言います。

「母親はパート勤めをしていて忙しそうだったというのもあったんですが、基本は放任で、伸び伸びと育ててもらいました。何かを反対されたこともありません。私は高校生のときに髪の毛を染めていたんですが、進学校だったこともあり悪目立ちしていて。茶髪で怒られ、ピアスをしていたことも続けてバレて、一度親が学校から呼び出しを食らったことがあるんですが、その場では母親は頭を下げてくれたものの、帰り道では『似合ってるやんね』と。『自分の体にしていることだから』とよくわからない理屈だったんですが、どんなときも味方でいてくれた記憶が残っています」

【転職をきっかけに親元を離れ、その4年後に乳がんを発症。次ページに続きます】

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