取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都内で旦那さまとの二人暮らしをしている芹那さん(仮名・46歳)。愛知県出身で、両親との3人家族。小さい頃から父親に管理、批判されるような生活を送り、唯一抵抗し続けたのが結婚だったそう。自分のやりたいことをかなえたときの喜びを振り返ります。
「反対され続けた結婚を押し切ってかなえたことで、やっと父親に勝てた、自由になれたと思いました。一種の達成感みたいなものがあったのかもしれません。父親は最後まで『そんな相手と幸せな結婚生活を送れるわけない』と言っていたので、それを裏切るためにも絶対に幸せになってやると誓いました」
母親は自分と同じ父親の被害者だった
結婚した芹那さんは両親との連絡を絶ちます。再び連絡を取るようになったのはその3年後、母親の病気がきっかけでした。
「母親はガンだったんですが、連絡をもらったときにはすでに再発の状態で覚悟をしなければいけないようなタイミングでした。父親の言いなりだったとはいえ、母親は私と同じ父の被害者です。放っておけるわけもなく、そこから私は病院に通うようになりました。父親はほぼお見舞いに来ることもなく、来るタイミングは母親から教えてもらっていたのでバッティングすることはありませんでした。入院中は父親の干渉がなく、今までで一番母親とゆっくり会話できたときだったと思います」
母親はその1年後に亡くなってしまいます。葬儀で久しぶりに顔を合わした父親は相変わらずだったそうで、芹那さん自身も何も感じなかったとか。
「母親が亡くなってから、母親は本当に幸せだったのかなってよく考えるようになりました。最後には笑顔で話すことができたけど、私が実家にいたときは笑った顔の記憶なんてなくて。私は当時から自分のことばかりで、もっと母親にしてあげられることがあったんじゃないかなって、後悔が強かったです。
一方の父親とは葬儀で久しぶりに顔を合わせましたが、事務的な会話だけで終わりました。家族として手伝ってくれた夫に対してほぼ見えていないみたいな態度だったので、こちらもそのようにしただけです。お互いのためにもう会わないほうがいいんだろうなってそのときに思いました」
【病院から連絡が来て、3日後に父親は亡くなった。次ページに続きます】