取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、兵庫県内で旦那さまとの2人暮らしをしている泰代さん(仮名・39歳)。兵庫県出身で、両親との3人家族。両親はどちらも教育熱心で過干渉気味。そんな親のことは周囲の誰にも相談できなかったと振り返ります。
「私が学校から直帰しなかったときには学校に連絡されたり、買ってあげた携帯だからとメールまでチェックされていても、何も反抗できませんでした。周りに相談するのも恥ずかしいというのもありますが、周りに嫌な親だと思われたくない気持ちもありました」
1人暮らしを強行したことで物理的な距離が生まれる
大学卒業後は大阪府内の広告代理店に就職するも実家から通うことに。過干渉は相変わらずだったものの、そこから親に嘘をつくことが普通になっていったとか。
「広告代理店の営業だったので、仕事で帰りが夜遅くなったり、終電に間に合わずに会社に泊まることも出てきました。仕事なので、親は帰宅しないことに文句を言うことはあっても強制的に帰って来いとはなりません。それに味を占めたというか、度々親に仕事だと嘘をついて夜中に帰ることが増えていきました。父親からは『そんなに残業を強いる会社なら辞めてしまえ!』と強く言われたことはあっても、無視するくらいは私も強く出ることができるようになっていって。
父親は無視で良かったんですが、一番辛かったのはどんなに深夜に帰っても起きて待っている母親の存在でした。お願いだから待たないでと言っても聞く耳を持ってくれなくて。家に帰る度に罪悪感を持つようになっていきました」
家に帰ることが嫌になっていった泰代さんは1人暮らしをするために勝手に引っ越しを敢行します。その行為が父親の逆鱗に触れて無視されるように。おかげで引っ越しはうまくいったとのこと。
「本当に深夜まで働いて早朝に出勤するような、家の滞在時間が3時間ほどの生活を送っていて、このままでは体を壊すと思ったので、会社の近くで暮らすことにしたんです。その理由をいくら話しても父親は認めてくれなかったので、引っ越しを強行しました。保証人は妹に頼んだので親には一切迷惑はかけていません。妹は要領がいいタイプで、両親の過干渉ともうまく付き合って実家で暮らしていましたが、色々思うところがあったみたいで味方してくれました。母親は怒っている父親に寄り添うかたちで、私とは最後まで2人で話をする機会はありませんでした」
【親からの絶縁もいつか戻れると簡単に思っていた。次ページに続きます】