親からの絶縁もいつか戻れると簡単に思っていた
1人暮らしを始めてからも母親からの連絡は続き、父親とは必要最低限の会話しかしないものの、何かあるごとに実家には帰省していたそう。そんな中、あるときから結婚を急かされるようになったと言います。
「親戚の中で私より年下の従妹が結婚したことによって、両親の中で私の存在が焦りに変わったんだと思います。今まで散々プライベートに対して規制してきたくせに、『いい人はいないのか?』とか『いないなら探してくれるところに入れ』と父親が言ってくるようになりました。大人になりかわすことを覚えたんですが、毎回帰省の度に言われてうんざりで。さらには近所の人とのお見合いを勧められるようになってきて……。私はお見合いを強要されたことで親と距離を置くことに決めました。お見合いに行かなかったことで、父親も怒り狂っていたのでもういいやと」
実家に帰らなくなり、次第に母親からの連絡も忙しいとメールで済ますように。妹から、父親が縁を切ると言っていると聞いても平気だったとか。しかし、それは自分から歩み寄ればすぐに戻れると思っていたからだったと振り返ります。
「もう放っておいてほしいの一言でした。私は親の所有物じゃないですから。このままぶつかることなく、疎遠になれればと思っていました。ぶつかることがなければ、いつか普通に戻れると思っていたから。
でも、実際は違いました。父親は、私の結婚が決まって夫とともに挨拶に行くことを拒否してきて、母親も謝るばかりで夫には会ってくれませんでした。夫の家は母子家庭で、私の両親と連絡が取れないことを受け入れてくれて結婚には至りましたが、結婚の連絡をするまで、ここまでこじれているとは思いませんでした。親の参加がかなわなかったので、結婚式はせずに写真だけ撮りました」
結婚後に暮らしている場所は実家から1時間ほどの距離。しかし、今も和解には至っていないと言います。
「私は子宮の病気が見つかり、子どもは望まないことを夫婦で決めました。そのことを義母に伝えると寄り添ってくれましたが、やっぱり母親に甘えたかった、慰めてもらいたかったという思いがあります。父親とも和解したいとは思っていますが、どう行動したらいいのかわかりません。今は結婚して近所で暮らす妹から、両親の様子を聞くだけです。あのときは確かに限界だったけど、我慢するべきだったのでしょうか。今もあのときどうするべきだったのかわからずにいます」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。