叔母たちの介護。変わった兄姉
叔母2人も高齢だ。二人暮らしは何とかできているが、それぞれ要介護2と要支援だ。特に上の叔母は、認知症になって食事の支度ができなくなった。
「叔母たちも、叔父と同じようにプライドが高くて、私たちに対しても高圧的だったので、反発してきました。でも年のせいか2人とも気弱になっていて、ずいぶんとっつきやすくなりました。それに、私たちも年齢を重ねてキャパが広がったんでしょう。『叔母たちも、こういう人なんだ』と許容できるようになってきたんです」
日高さんの言葉で、兄姉も変わった。叔母たちの様子を見に行ったり、電話してくれたりしている。現在は、叔母が2人一緒に入れる施設を探しているところだ。
「母や叔父のときにいろんな施設を見てきました。2人はお金も持っているので、有料老人ホームがいいのではないかと思っています。2人でいられる時間はそう長くないので、2人部屋ではなく、別の部屋の方がいいんじゃないかと考えているのですが、その一方で、今はヘルパーさんに来てもらってうまくいっているので、2人のためには環境を変えない方がいいのではないかとも思う。兄は、2人の家に段差などの障害が多いので、バリアフリー環境の住まいがいいのではないかと言うのですが」
日高さんは、両親と叔父、叔母の介護経験を活かし、ファイナンシャルプランナーの業務と並行して、終活にも取り組むようになった。兄や姉は、日高さんの言葉を尊重し、理解してくれている。
「終活に取り組むことになったのも、運命だと思います。両親の介護では、そのときどきでベストな選択をしたつもりでしたが、あとになってみると、また違うやり方ができたんじゃないかと後悔する面もあります。何が正解かはわかりません。でも、残された家族は、正解というより『やるだけやった』感がほしいのではないでしょうか。私の後悔は、どこで解消されるんでしょうね。10年、20年では無理なんじゃないかな。生きているうちは、前を向いて生きていくしかないと思っています」
日高さんはそう締めくくり、「明日は終活の講演会だ」と足早に去っていった。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。