父親の期待に応えたのは弟一人。父は私のことを「恥ずかしい」と言った
父親のことで覚えている記憶は高校生になってから。2番目の弟の成績がきっかけだったと振り返ります。
「私の成績は普通で、高校のレベルも中間で、ほとんどの子は大学に進学するぐらいのところに通っていました。1つ下の弟は勉強が苦手で本人も興味がなかったみたいだったんですが、2番目の弟がすごく頭が良かったんです。学校でなのか、塾でなのかは覚えていないですが、テストで全国3位の成績を獲ったことがあったんです。元々賢かったけど、ここまでだと思っていなかったから家族で大盛り上がりした記憶が残っています。そして、それから父親が弟の成績だけに干渉するようになりました。今まで子どもたちの教育に関しても母親に任せっきりだったのに……。私たちの当時の通信簿などは居間にあるサイドボードの引き出しの1か所にまとめられていたんですが、一番上にあるのはいつも優秀な弟のもの。そんな些細なことを覚えているってことは気にしていたんでしょうね」
そんな中、理恵さんが大学生の時に母方の祖父が亡くなります。葬儀の後の親族との飲み会で父親が話すのは弟の自慢話ばかりだったそう。その時に、まだ父親のことを気にしていた自分に気づいたと言います。
「父親は弟しか見えていないということがわかりました。普段家では少し飲むぐらいでそこまで酔っ払う父親を初めて見たんですが、こんなにしゃべるんだってびっくりしたんですよ。父の口から出てくるのは優秀な弟の話ばかり。『自分によく似ている』とも言っていました。自慢話をしている父親に恥ずかしいという思いもあったけど、その会話にわざわざ耳を傾けて自分の話が出ないのかなって気にしている自分も嫌だった。まだ何か期待してしまっていたんだなって」
大学を卒業後に建築関係の会社に就職して、今の旦那さまと出会います。理恵さんが結婚したのは24歳のとき。授かり婚だったそうで、結婚自体の反対はなかったとのことですが、ある一言から父親との決別を決めます。
「夫と一緒に結婚の挨拶に行った時に、父親は私たちに『恥ずかしい』と言いました。怒る様子はなく、呆れた感じでブツブツと聞こえるか聞こえないかぐらいの声で。当時はまだ結婚よりも先に子どもができることに世の中も寛容じゃなかったことはありますが、父親を夫に紹介したことが本当に恥ずかしかった。そこから父親は母親の付属品でしかないと完全に割り切って付き合おうと決めました」
それでも親に期待してしまうのは悪いこと?【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。