取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「狭い中で、絶対的な存在だと虚勢を張る姿が昔から大嫌いだった。地元で死ぬまで暮らし、世間体が守れるぐらいの学校を卒業して、早く結婚して、子どもを産む。その道しか用意されていないと周囲全員がずっと思い込んでいました」と語るのは、成美さん(仮名・39歳)。彼女は現在、3年前に結婚して都内で2人暮らしをしています。結婚はしているものの、共働きで財布も別々。良き同志という関係性もあるとのこと。
急に怒りだし手をあげる祖母。家では誰も助けてくれなかった
成美さんは山梨県出身で、両親との3人家族。近くには父方の祖母が暮らしていて、母親というよりも祖母が厳しかったと言います。
「祖母は何かができないとすぐに手が飛んでくるような人でした。怒る原因は勉強の出来だったり、家の用事を手伝わなかったりと色々です。でも、たまに機嫌が良くて一緒にテレビを見ていたのに、急に怒りだして手をあげられることもありました。どこに沸点があるのかまったくわからない感じで、ただただ怖かったです。そんなことが続けば、自然と一緒に居るのが嫌になりますよね。でも、祖父は私が生まれる前に亡くなっていて1人の家に帰りたくないのか毎日のように祖母は私の家に来ていました。あまりに会いたくなくて玄関をこっそり開けて、祖母の靴があったら少しだけ近所で時間を潰すこともありました。少しだけだったのは寄り道がバレるとそれだけで叩かれていたから。祖母のことを好きだと思ったことは一度もありません」
叩くことについて、両親は何も言わなかったのでしょうか。
「父親からすると祖母は気を遣う存在だったようで、祖母が毎日いるようになってからは晩御飯を食べ終わったら部屋に籠るようになりました。母親はというと私が何をされていても、家事を続けていた感じです。泣いてもお構いなしで手を止めることさえなかった。小さい頃に泣いて母親にすり寄ったことがあるんですが、何とも言えないような苦笑いをされただけで洗濯カゴを持って、素通りされました。白い洗濯カゴを持っていたことと、あの苦笑いの顔は今でもハッキリと覚えていますね」
祖母のことが嫌いな成美さんでしたが、親戚同士の集まりには楽しい気持ちで参加していたとのこと。そこには同じように厳しく躾けられていた従姉弟の存在があったからだと言います。
「従姉弟は全員で5人いて、私より3つ上の姉みたいな存在の従姉が一番仲良しでした。彼女は私よりも祖母に目をつけられていて、よく怒られていましたね。小さい頃は彼女と一緒にいれば怒られることも怖くなかった、力強い存在だったんです。それに一緒に祖母の文句を言い合うのも楽しかった。私が小学生の頃までは仲良くしていました」
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