遠くのものを近くに引き寄せて見る──双眼鏡の機能をいえば、それだけのことである。だが、その単純明快な機能が人の興味を引き、大いなる楽しみを与えてくれる。
プリズムを使った双眼鏡は、19世紀半ばにイタリア人のポロにより発明され、基本的な原理は当時より変わっていない。ここで紹介する双眼鏡にも「ポロ式プリズム」が使われている。プリズムは、そのままだと逆さまに投影される像を補正し、肉眼視と同じように「正立」させる重要な役目を担う。
使い方もほとんど変わらない。基本、以下の3操作で完了する。
(1)接眼部を左右の目の幅に合わせる。
(2)視度を調節する(片目ずつのピント調節)。
(3)両目で覗き対象物にピントを合わせる。
(1)と(2)をあらかじめ済ませておけば、あとはピントを合わせるだけだ。
1995年、キヤノンは双眼鏡の操作にもうひとつ動作を加えた。「手ブレ補正」である。当時は家庭用ビデオカメラの全盛期で「手ブレ補正」機能で各社がしのぎを削っていたころ。キヤノンでは、同社のビデオカメラにも使われていた「バリアングルプリズム」という補正機能を双眼鏡にも搭載、ボタンを押している間だけ補正が利くモデルを発売した。『12×36 IS』というのが品名で、価格は12万5000円であった。
高倍率の双眼鏡は、本来なら三脚に据えて使うのが原則だ。しかし『12×36 IS』には三脚用のねじ穴は切られていなかった。手持ちでもブレのない像が得られるので、とくに三脚を使う必要がなかったからだ。
これを皮切りに同社は、手ブレ補正機能付き双眼鏡のラインナップを広げていく。現在の補正方式は、一眼カメラの交換レンズにも使われる「シフト方式」が主流になり、倍率やレンズ性能の違いなどにより10機種が揃う。
今回紹介する『8×20 IS』は、そのなかでもっとも小型で軽量の普及モデルである。とはいえ、手ブレ補正の効果は想像を上回る。たとえば、夜空に向けると揺れていた星々が緩やかに止まり、背後にそれまで見えなかった星がいくつも浮かび上がってくる。野鳥も然り。しっかり止まって見えれば種別もよくわかる。
好奇心の引き出し装置
像が揺れないので、さらに多くの情報が認識できる。手ブレの像が低解像度の映像だとすれば、補正の利いた像ははるかに高解像度であり、より多くの情報を得ることができる。
本機が活躍するのは、自然観察ばかりではない。スポーツ観戦やコンサートなどで、楽しみは倍加するだろう。旅に持参すれば、その土地のことをより深く理解するきっかけにもなる。
キヤノンで双眼鏡の商品企画に携わる家塚賢吾さんはこういう。
「自分の趣味に双眼鏡を掛け合わせるとどうなるかを考えてみてください。双眼鏡の楽しみと可能性が一気に広がりませんか」
そういわれると、本機をいつも持ち歩きたくなる。揺れのない鮮明な像には新たな発見があり、興味の入口になる。双眼鏡が好奇心の引き出し装置になるのだ。
取材・文/宇野正樹 撮影/稲田美嗣 スタイリング/有馬ヨシノ
※この記事は『サライ』本誌2023年5月号より転載しました。