この10月に歌舞伎座で上演された「中村橋之助改め八代目中村芝翫襲名披露 芸術祭十月大歌舞伎」は、芝翫と同時に三人の子息も、「橋之助、福之助、歌之助」を襲名する、東の成駒屋の大きな慶事となった。

そして、この公演で、もう一人襲名を果たした俳優がいる。四代目中村梅花(ばいか)さん。成駒屋を支えるベテランの女方だ。

10月は、昼の部の『女暫(おんなしばらく)』の局唐糸、『極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)』の下女およしで出演。引き続きの襲名披露となる11月「吉例顔見世大歌舞伎」では、昼の部で『加賀鳶』の道玄女房おせつを勤めている。

名跡を継承したばかりの梅花さんに、お話を伺った。

『夏祭浪花鑑』三婦女房おつぎ。2011年6月、六月大歌舞伎(新橋演舞場)撮影/渡辺文雄

『夏祭浪花鑑』三婦女房おつぎ。2011年6月、六月大歌舞伎(新橋演舞場)撮影/渡辺文雄

前名は二代目中村芝喜松(しきまつ)。昭和25年生まれ、歌舞伎とは無縁の家で育ち、若い頃は新劇の俳優を目指していたという。そんな梅花さんが、歌舞伎の道に進むきっかけとなったのが、国立劇場が昭和44年に創設した歌舞伎俳優研修制度だった。

「新劇俳優としての腕を磨こうと、昭和47年の第二期研修生に応募したのですが、研修を始めて半年で、すっかり歌舞伎に魅せられてしまいました。日本の伝統よりアメリカの文化や音楽の方が好きだったのに、不思議なものです。封建的とも言われる歌舞伎の世界ですが、本当に水に合ってしまいました」

現在も続く、歌舞伎俳優養成は、国立劇場が初めて手がけた伝統芸能者の養成事業。世襲が重んじられてきた歌舞伎の世界で、血縁や縁故を問わず、意欲のある若者を募って歌舞伎俳優を育てようという、創設当時では、かなり革新的な事業だった。

入ってくるのは着物を着たこともない男性ばかり。そんな若者たちに2〜3年の研修期間で、歌舞伎の技芸の基礎を身につけさせるため、国立劇場は一流の講師陣を揃えていた。

「当時、歌舞伎界の大幹部だった梅幸(ばいこう)旦那(七代目尾上梅幸)、白鸚(はくおう)の旦那(初代松本白鸚)の講義は特に印象に残っています。実技は二代目中村又五郎さんが熱心に指導をして下さいました。なかでも感動したのは、文楽、義太夫三味線の野澤松之輔師匠、鶴澤重造師匠、野澤吉兵衛師匠のお稽古です。三者三様のご指導でしたが、その存在感、芸にかける精神性の高さは忘れることができません」

梅花さんの頃の研修期間は1年10か月ほど。この短期間に、立役や女方の基本動作、発声、見得、舞踊、立廻りやとんぼ(宙返り)といった実技、それに伴う、歌舞伎の化粧法、衣裳の扱い、着付け、後見の仕事、さらには義太夫、長唄、囃子、箏曲などの邦楽まで、膨大な研修を習得した。どれほどの気力体力、集中力が必要だっただろうか。

国立劇場の第二期歌舞伎俳優研修生時代。試演会で女方の立廻りを演じた。右は同期生の中村歌女之丞さん。写真は、梅花さん提供。

国立劇場の第二期歌舞伎俳優研修生時代。試演会で女方の立廻りを演じた。右は同期生の中村歌女之丞さん。写真は、梅花さん提供。

研修も終盤に差し掛かった昭和49年2月、梅花さんは、将来の歌舞伎俳優人生を決定づける舞台と出会う。新橋演舞場で上演されていた、『京鹿子娘道成寺』。白拍子花子は故・七代目中村芝翫(1928-2011)。七代目芝翫の道成寺は、端正な動きと格調の高さで一代の当たり役とされていた。

「この舞台ですっかり旦那(七代目芝翫)の芸に惚れ込み、研修終了後の入門希望先は、旦那のところしかないと決心しました」

昭和50年に七代目芝翫の元に入門すると、「芝喜松」という名前が与えられた。この芝喜松を小さい頃に名乗っていたのが三代目中村梅花(1907-92)だった。

「お名前を頂戴し、その後ご挨拶に伺った時、子供みたいな名前だけど良いのかしらと恥ずかしそうにおっしゃったのをよく覚えています。『こんな筈じゃないと思うことがたくさんあるだろうけど、辛抱しなさいよ』と言って下さいました。入門時から亡くなるまで、あらゆる事を教えていただき、時には盾になって下さいました」

この話を聞けば、芝喜松はいずれ梅花になることが約束されていたのかと思われるが、芝喜松時代の梅花さんは、この名前は「永久欠番」だと思っていたそうだ。

「(三代目)梅花さんは、裏の人間国宝なんて例えられるくらい、成駒屋だけでなく歌舞伎界全体の尊敬を集める偉大な存在だったんです。一言でいえば、異能の人。成駒屋だけでなく、歌舞伎界を俯瞰でき、過去の舞台の記憶力が克明で、さらにすごいのはそれが変遷しても全部頭の中で整理されていて、尋ねればすぐに出てくる。旦那のお子さん方から『梅花じいじ』と慕われていました。なんでもご存知でしたからね」

成駒屋の九代目中村福助、八代目芝翫は幼い頃から、この三代目の「梅花じいじ」によって手塩にかけて育てられたし、晩年には歌舞伎俳優養成研修にも携わったため、三代目梅花の厳しい薫陶を受けた歌舞伎俳優は数多い。

「教えるのもうまくて、『何が本当ということはないのよ』とひとつにはまとめない。舞台袖に戻ってきた時に、その日の出来映えを手で丸や三角や×(バツ)を作って評価してくれた姿など忘れられませんね。しくじって謝りに行くと、『何であれ失敗はいけません』の一言で、それ以上は何もおっしゃらなかった。誰に対しても公平で公正、人間的にも素晴らしい方でした」

四代目梅花襲名は、現在、病気療養中の九代目福助から、「梅花の名前が消えてしまうのは惜しい」と請われてのものだったという。

「三代目梅花さんの、教え方や口調を、無意識にも意識的にも真似ていることがよくあります。四代目を襲名することになって、さらに三代目の凄さを実感しています。まさに私にとって、大歌舞伎の守護神でした」

四代目梅花さんが芸にも人柄にも惚れ込んでいた七代目芝翫の壮年期、弟子として微に入り細にいる指導を受けたという。

「優等生ではありませんでしたから、怒られた思い出もたくさんあります。入門した頃、旦那に『高速道路を突っ走っているような顔をしているけど、この世界は下の道をゆっくり走ることが大切だよ』と言われました。こんな風に物事の譬え方がいつも巧妙でした」。

最晩年、「芝喜松、いい役者になったなあ」と言っていたと芝翫夫人から聞かされ、本当に嬉しかったという。

美しい芸者に扮した若き日。梅花さん提供。

美しい芸者に扮した若き日。梅花さん提供。

「私には最高の褒め言葉でした。上手いではなく、『いいね、いい役者だね』と言われる存在を目指したいと思っていますから」

地道に努力をしていれば、抜擢されたり、必ず報われる機会はやってくると語る、四代目梅花さんの襲名は、研修生出身の後輩たちにとって、どれほどの励みになるだろうか。そして、三代目梅花、四代目梅花さんのような、こよなく歌舞伎を愛する存在が、大歌舞伎の伝統を支える底力となっていることも、改めて思い知らされるのである。

【四代目中村梅花】(なかむら・ばいか)
昭和25年生まれ。49年国立劇場第二期歌舞伎俳優研修修了。4月国立劇場『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の腰元他で山崎隆の名で初舞台。50年4月中村芝翫に入門し、中村芝喜松を名のる。平成3年4月に名題昇進。平成11年第五回日本俳優協会賞受賞。平成28年10月、11月歌舞伎座で四代目中村梅花を襲名、幹部昇進。

【吉例顔見世大歌舞伎】
■公演期間:平成28年11月1日(火)~25日(金)
■時間:昼の部 午前11時~/夜の部 午後4時30分~
【貸切】3日(木・祝)夜の部、23日(水・祝)夜の部 ※幕見席は営業
■場所:歌舞伎座
※公演詳細はこちら>> http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/491

写真・文/岡田彩佑実
『サライ』で「歌舞伎」「文楽」「能・狂言」など伝統芸能ジャンルを担当。

 

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