文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「小説を書くなら、日本橋の真ん中で素裸になって仰向けに寝てみせるくらいの勇気がなければ成功しない」
--岡本一平

漫画家の岡本一平が、歌人から小説家へと転身を志す妻の岡本かの子に言った台詞である。とことん己をさらけ出すような覚悟を持たなければ、人を感動させるような作品は書けない。一平は、そう言いたかったのだろう。

偶然だろうか。後年、太宰治も同じようなことばを作品の中に書いている。

岡本一平は明治19年(1886)函館の生まれ。東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科を卒業後、帝国美術劇場の背景部に勤務して舞台美術の仕事をしながら、引き続き油画の勉強をしていた。かの子を娶ったのもこの頃だった。

帝劇の仕事は日給計算で、少ない時にはひと月に2、3日の勤務ということもある。生活は安定せず、米びつの米が底をつくこともあったという。

明治42年(1912)夏、小学校時代の同級生の名取春仙の紹介で、一平は東京朝日新聞に、10数回にわたってコマ画(世相風俗や事件を一枚の絵に描き込んだもの)を描いた。これが、折から同紙に小説『それから』を連載中だった夏目漱石の目を引き、大いに面白がらせた。

その3年後、同紙に連載中の正宗白鳥の『生霊』の挿絵を描いていた名取春仙が急病で倒れ、実績のある岡本一平にピンチヒッターの声がかかった。このときの一平の挿絵は、社会部長の渋川玄耳も着目するところとなり、とんとん拍子に一平の朝日入社が決まっていった。朝日入りした一平は、水を得た魚のように生き生きと働きだした。やがて従来のコマ画という殻を破り、画に洒落た文章を添える「漫画漫文」という独自のスタイルを生み出し、時代の流行児となっていく。と同時に、随分と遊びにも興じたらしい。

若い頃、放蕩に明け暮れて妻を苦しめた反省から、後半生の岡本一平はかの子を全面的に応援した。掲出のようなことばで、文学者としてのかの子の覚悟も促しながら、バックアップした。

かの子が小説に取り組んだのは、昭和11年(1936)から逝去までのわずか3年間だったが、あふれ出るように生み出されたその作品は、質、量ともに称讃に価する内容だった。作家の林房雄に至っては、「漱石、鴎外に匹敵する」という最高の賛辞まで与えた。

かの子はこの頃、こんなふうに語っていた。

「体の中から何かがあふれて来てじっとしていられないの。裸で夜中の街へ飛び出すかもしれないわ。体をぎゅっと縛るような気で鉛筆をとるの。すると自然と書けて来る。書きたいことは私が物心ついた頃から、体のそちらこちらにかたまっている。先祖からの霊が私に乗り移って来る。林芙美子のような横の経験がなくたって、書けるのよ」

そこに、自己の流浪体験を基礎にした『放浪記』で流行作家となっている林芙美子への対抗意識が覗いているのも面白い。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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