今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「あきらめと辛抱が人間のカンドコではないでしょうか」
--明治の郵便集配人

もとは士分であったという、明治期のある郵便集配人の語り残したことば。篠田鉱造著『明治百話』より。

日本に近代的な郵便制度が導入されたのは、明治維新後の明治4年(1871)のこと。まずは東京・京都・大阪間が整備され、その後、全国に行き渡るようになっていく。

メールを「郵便」と翻訳して各所にポストを設置したのはいいが、庶民の中には「タレベン」と誤読し、「公衆便所にしては差し入れ口が上過ぎる」と苦情を言う者もあらわれる始末だったという、嘘のようなホントの話もある。

この郵便集配人は、明治12年(1879)、数え年24のときに、赤坂局の集配人となった。父親は田安家(八代将軍徳川吉宗の次男・宗武を家祖とする御三卿のひとつ)の家来。次男坊とはいえ、世が世なら武士の端くれとして禄を食(は)めるはずであった。ところが、明治維新で幕藩体制は瓦解。気持ちを切り換えて、食べていくため、郵便集配の仕事に就いたという。

当時の郵便集配人の仕事は、「饅頭笠に革の嚢(ふくろ)をかけ、テクテクと、年から年中脚に休みなし、働いて働いて働き抜き、ぶっ倒れたらお休みといった、不眠不休というやり方」であったという。朝は4時半に家を出て、帰宅は夜。赤坂局から麹町局まで「10分」などと厳しい目安があり、自転車のような勢いで走らねばならない。勤めを終えて帰ると、脚がスリコギのようになっている。それでも「お上の御用」という心持ちで、一生懸命に働いた。

勤続29年で辞職。最初は5円だった月給が退職前には23円ほどになっていた。また、辞職時には一時金(退職手当て)として268円が支給されたという。無駄使いもせず、女房と助け合い、途中、家を買い、家作まで持てた。で、退職後は悠々自適の身分になったというのである。

改めてかつての御家中の人たちを見ると、侍気分で気位ばかり高く、自分の体を使って働かないで、楽にうまい汁を吸うようなことばかり考えて、行き詰まってしまった者も少なくない。

自分は早くにそうしたことに気がついて、「饅頭笠結構、労働ありがたいで、郵便集配人に成下って、結局成上った」として、掲出のことばを口にするのである。

環境が変わったなら、過去の名声やプライドにばかりとらわれていず、頭を切り換えて、目の前の仕事に辛抱して一生懸命に取り組む。個人のみならず、組織にもそういうことが必要なのだろう。

東芝やシャープの、今と未来にふと思いを重ねる。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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