今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「オカアチャン、オクチ、スズメサンミタイ(口をとがらせたのを)」
--金子みすゞ

金子みすゞは、明治36年(1903)山口県の生まれ。本名テル。20歳の頃から、信濃の国の枕詞である「みすゞ」をペンネームにして童謡詩を書きはじめた。彼女の詩には、人をはっとさせ胸を揺するようなイマジネーションの飛躍があった。たとえば、次の詩。

「朝焼小焼だ/大漁だ/大羽鰯の/大漁だ。/浜は祭の/ようだけど/海のなかでは/何万の/鰯のとむらい/するだろう。」(『大漁』)

西条八十は、その才能を高く評価し、「若い童謡詩人中の巨星」という称号まで贈った。

そんなみすゞの才能を無理矢理に封じたのは、そぐわぬ結婚だった。封建的で放蕩児の夫は、横暴にも、詩作ばかりか文通さえも禁じた。みすゞは25歳で童謡詩人としての筆を擱(お)く。

みすゞに残された唯一の生き甲斐は、幼い愛娘ふさえだけであった。ふさえの発する愛らしくあどけないことばを、みすゞは手帳に採録していく。

山口県長門市の金子みすゞ記念館を訪れて、その手帳を手にとって見たことがある。縦13センチ、横9センチほどの大きさだから、紙の規格サイズでいえばB7判。あずき色のクロス張り表紙。表紙をめくった最初の扉部分の中央に、まるみを帯びた字体で「南京玉」と書かれている。

掲出のことばも、その手帳「南京玉」に書かれていたもの。母と娘の温かな心の交流が覗く。こうしたことばを書きつけることで、みすゞは辛うじて詩人の魂に命の糧を与えようとしたのである。

だが、それも1年もつづかなかった。みすゞは耐えきれず離婚を決断するが、夫は娘を渡さないと言い張り、みすゞを追い込んだ。

行き場を失ったみすゞは、とうとう自ら命を断つ。両親あての遺書には、こんなふうに書かれていたという。

「ふうちゃんを頼みます。今夜の月のように私の心も静かです」

26年という短すぎる生涯であった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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