今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「葬式無用
弔問供物固辞する事
生者は死者の為に煩わさるべからず」
--梅原龍三郎
画家の梅原龍三郎は、独自の健康法をもっていた。そのひとつが、腹が減るのを待って腹九分目に食うこと。よく言われる「腹八分」でなく「九分」というのが、健啖家の梅原らしい。寝酒を少量飲んでなるべく熟睡することも心掛けていたという。
そんな配慮が功を奏したのか、長命だった。明治36年(1888)3月京都に生まれ、昭和61年(1986)1月、97歳で大往生した。
かねてから準備の遺書に書かれていたのが、上に掲げたことば。なんとも潔い。
これに先立ち、梅原は長年かけてコレクションしてきた時価数十億円ともいわれる美術品の数々を、内外の美術館や博物館などに寄贈していた。自分の作品数十点もそこに含まれていた。
身の回りを整理するための決断。今でいう「終活」の一貫であっただろう。
この頃、梅原邸を訪問した白洲正子の記した一文が残っている。
「まったく無一物とはいえないものの、精神的には裸になった梅原さんの身辺は、まことにさっぱりしたものである。テーブルの上には愛用のウィスキーが四、五本。煙草の箱が二つ、白い壺にバラの花がいつも挿してあり、それだけあれば何も要らないといった風情である」(『遊鬼 わが師 わが友』)
このとき梅原は、白洲正子に向かって、
「年をとってからは、よく死ぬことを考えたが、近頃は死ぬことも忘れてしまったらしい」
などと言って、屈託のない笑顔を見せていたという。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。