今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「お前は足の踏んでいる所を忘れたのか、お前はしなくてはならないことを怠っているじゃないか」
--木下杢太郎
木下杢太郎は明治18年(1885)、静岡・伊東で呉服や荒物などを商う素封家の家に生まれた。蔵にある江戸期の絵草子や浮世絵に早くから親しむ傍ら、東京や横浜で英語とキリスト教を学ぶ姉たちから、夕暮れの海岸でよく英語の歌を聞かされた。
後年の木下杢太郎の江戸趣味と異国情緒がないまぜになった耽美的詩風は、こうした環境の中で育まれた。いわゆる南蛮詩の数々はその典型。北原白秋とともに、当時の詩壇に新風を吹き込んだ。戯曲や小説、美術評論の執筆、植物画製作にも腕をふるった。
次のような詩の一節も、懐かしさとともに何がなし読む者を異国へと誘うロマンチックな情趣がある。
「浜の真砂に文かけば/また波が来て消しゆきぬ/あはれはるばるわがおもひ/遠き岬に入日する」(『海の入日』)
本名は太田正雄。幼い頃から医師になることを期待されていた。本人には文学か美術方面へすすみたい希望があったが、家の厳しい縛りを脱することができず、結局、東京帝国大学医科大学(現・東大医学部)へと進学した。
掲出のことばは、木下杢太郎が大学在学中に雑誌『スバル』に発表した戯曲『灯台直下』の中に綴られた一節。年長の灯台守が、身をもち崩しそうな潜水夫を諭して言う台詞だ。そこには、芸術か医学かと進路に迷う、若き日の作者自身の姿が映し出されているようにも見える。
大学卒業後はフランス留学を経て、東北帝大、東京帝大教授などを歴任した。夏目漱石とも書簡のやりとりをしているが、歩みの手本としたのは軍医という官職に籍を置きながら文芸にも親しんだ森鴎外の行き方だったようだ。
専門は皮膚医学。細菌学研究の業績により、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章も授与されている。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。