
大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、織田信長(演・小栗旬)の天下統一戦線の中で、浅井長政(演・中島歩)が登場しています。浅井長政の「長」の字は、織田信長からの偏諱ともいわれていますが、最初の名は浅井賢政(かたまさ)といいました。近江の守護六角義賢(ろっかくよしかた)の「賢」を与えられているわけです。
この六角氏、織田信長の上洛の際に、チラチラと名前が出てきますが、古い時代を扱った大河ドラマ作品から度々一族が登場する名門です。
『光る君へ』の源倫子の弟が六角氏の源流
まずは、2024年の『光る君へ』。益岡徹さんが演じた左大臣源雅信をご記憶ではないでしょうか。宇多天皇の孫で源姓を与えられた源雅信です。娘の源倫子(演・黒木華)が藤原道長(演・柄本佑)の正室として、道長のソウルメイトという設定だったまひろ(紫式部/演・吉高由里子)とのせつないやり取りが話題を集めました。源雅信の子孫は、庭田家、綾小路家、五辻家など多くの公家として存続しましたが、武家として存続した系統があります。
源倫子の弟の源扶義(すけのり)は、蔵人頭や諸国の受領を務めましたが、子孫はやがて武士として生きる道を選択します。都で保元の乱、平治の乱で源義朝の配下で出陣した佐々木秀義は、宇多天皇から8代先の子孫になります。
『草燃える』で頼朝の挙兵に参じた四兄弟
源扶義を祖とする近江源氏は、やがて有力武士として台頭し、平安時代末期には清和源氏の棟梁源為義の娘を娶った佐々木秀義が現れます。秀義は、保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)で源義朝に従いましたが、敗戦後は雌伏の時を余儀なくされます。
治承4年(1180)の源頼朝の挙兵の際には、秀義の4人の息子が、頼朝のもとに参陣します。1979年の大河ドラマ『草燃える』には、定綱(演・佐藤仁哉)、経高(演・松田茂樹)、盛綱(演・佐久田修)、高綱(演・曽根孝忠)の4兄弟が登場します。
頼朝の挙兵にあたって、武将らを自室にひとりずつ招き寄せた『吾妻鏡』の有名な場面があります。「未だ口外せずといえども、ひとえに汝(なんじ)を頼むに依てと、仰せ合はさる之由、人毎に慇懃の御詞を竭(かっ)せらる之間、皆、一身抜群之御芳志を喜び、面々勇敢を勵(はげ)まんと欲す」と記されるこの場面には、佐々木定綱が呼ばれたとされます。
さらに『吾妻鏡』には、挙兵の際に、四兄弟が豪雨で遅参したこと、堤信遠(つつみのぶとう)を討つ際に、最初の矢を射ったのは佐々木兄弟であることも記されています。また、四兄弟の末弟高綱が上洛戦の際に梶原景季とともに宇治川の先陣争いをしたことは、『平家物語』の名場面のひとつとして古典の教科書などでもおなじみです。このように、歴史の中に度々、佐々木一族が登場します。
四兄弟のうち、後世の六角氏、京極氏の祖となるのは、嫡男定綱の流れです。次男経高は承久の乱の際に後鳥羽上皇側に与し、敗北しました。
『太平記』で足利尊氏の「盟友」だった佐々木道誉
佐々木氏は四兄弟の嫡男定綱の子信綱の息子の代に、六角氏、京極氏など四氏に分かれます。鎌倉時代末期の京極氏当主が「バサラ大名」として有名な佐々木道誉(高氏)です。佐々木氏の嫡流は「六角氏」でしたが、このころは道誉の「京極氏」が近江守護を務めていました。
1991年の大河ドラマ『太平記』では、足利尊氏(演・真田広之)の盟友として最終回まで登場しました。演じたのは陣内孝則さんです。自邸に尊氏と日野俊基(演・榎木孝明)が逃れてきた際には、豪快に立花をしながら「立花というものは四方いずかたより眺めても見事な姿につくらねばならぬ」と言いながら尊氏とやり取りしたシーンが印象に残っています。
大河ドラマ『太平記』では、後醍醐天皇の隠岐流罪に、鎌倉幕府の倒幕、後醍醐天皇方との争い、さらには尊氏と弟の直義(演・高嶋政伸)との間で繰り広げられた観応の擾乱でも常に尊氏のそば近くに寄り添っていたのが佐々木道誉でした。さらに尊氏が亡くなる様子を描いた最終回では尊氏から「生涯の友であった」との言葉をかけられています。
『花の乱』で登場した六角高頼
1994年の大河ドラマ『花の乱』は、応仁の乱の原因をつくった日野富子(演・三田佳子)を主人公とした作品です。脚本は、市川森一さんでした。
応仁の乱後の混乱の中で、松岡昌宏さん演じる室町幕府9代将軍足利義尚が、六角高頼(演・山本龍二)を征伐するために、自ら近江に出陣する場面が描かれました。劇中では、「この頃、近江の国では守護の六角高頼殿が寺社や公家、将軍の近臣たちの所領を押領し、幕府には高頼殿に領地を奪われた寺社、奉公衆たちの訴えが40数件に及びました」というナレーションで状況が説明されました。
将軍足利義尚は、六角高頼を討つために自ら出陣して近江に進軍し、陣中で亡くなります。25歳の若さでした。将軍義尚の早逝が、信長の時代まで続く混乱の源流ということになります。
『信長 KING OF ZIPANGU』で登場した六角承禎
『光る君へ』の源雅信の時代からおよそ550年。時代は戦国時代となり、六角氏、京極氏ともに時代の荒波にもまれることになります。
織田信長と対峙した六角義賢(承禎)は、『花の乱』で登場した六角高頼の孫になります。義賢の父六角定頼の代には、天文13年(1544)に上洛して将軍義晴と管領細川晴元の調停をしたり、13代将軍義輝の烏帽子親になるなど、戦国大名としての六角氏の最盛期を迎えていました。
1992年の『信長 KING OF ZIPANGU』では、六角承禎(演・平泉成)が、「尾張の小倅(こせがれ)にも伝えるのじゃ。片田舎に生まれし者は片田舎に生きよ、と。天下はそのような者にはかかわりないものじゃ」と馬鹿にした物言いでした。
宇多天皇の孫である源雅信を祖とする源氏の出で、源頼朝の挙兵に参陣した由緒を持ち、鎌倉幕府の滅亡を乗り越えてきた「名門」にとって、尾張国の半国守護代のそのまた奉行の信長の出自に対する侮蔑の念を感じさせる台詞でした。
これも600年に及ぶ長い歴史を生き抜いてきた矜持だったのでしょう。ところが、時の勢いは信長にありました。六角承禎は信長に敗れ、居城の観音寺城は永禄11年(1568)に落城するのです。
六角氏と京極氏の物語はまだ続きますが、『豊臣兄弟!』劇中の物語がもう少し進展したところで、その後の物語に触れたいと思います。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











