左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)は本名を藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)といいます。平安時代後期の公卿であり歌人です。左京大夫という官職に就いたことから「左京大夫顕輔」と呼ばれました。
顕輔は和歌の名門として知られた六条藤家(ろくじょうとうけ)に生まれ、父・顕季(あきすえ)もまた、『金葉集』の巻頭を飾った歌人でした。また、崇徳院(すとくいん)から『詞花和歌集』の撰者に任命され、朝廷からも高く評価されていました。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
左京大夫顕輔の百人一首「秋風に~」の全文と現代語訳
秋風に たなびく雲の たえ間より もれ出ずる月の かげのさやけさ
【現代語訳】
秋風に吹かれてたなびく雲。その切れ間からふと差し込む月の光の、なんと澄み渡っていることよ。
『小倉百人一首』79番、『新古今和歌集』413番に収められています。この歌は、崇徳院が主催した大規模な歌会「久安百首」(きゅうあんひゃくしゅ)で詠まれた一首で、顕輔の代表作として知られています。
満月を「まんまるい月が綺麗だ」と直接的に詠むのではありません。まず、視線は「秋風」に流れる「雲」に向けられます。そして、その雲がふと途切れた「たえ間」。そこから「もれ出づる」光に焦点を当てることで、かえって月の存在感と、その光の神々しいほどの美しさが際立つのです。まるで、映画のワンシーンを見ているかのようですね。
現代で「影」というと、光が遮られてできる暗い部分(シャドウ)を思い浮かべますね。しかし、古語における「影」は、多くの場合「光」(ひかり)そのものを指します。そして、結びの「さやけさ」。これも単なる「明るさ」ではありません。「清」(さや)という字が当てられるように、混じりけのない透明感、凛とした空気感、そして静寂までも感じさせます。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
左京大夫顕輔が詠んだ有名な和歌は?
『詞花和歌集』の撰者である顕輔は、他にも心に残る歌を詠んでいます。その中から二首紹介します。

難波江の 葦間にやどる 月みれば わが身ひとつも しづまざりけり
【現代語訳】
難波江には葦が生い茂っていて、その隙間から、水面に月が映っている。それを見れば、ひっそりと世間から埋もれて沈んでいるのは、自分の身だけでもないのだった。
『詞花集』に自選した自信作といわれています。白河院の怒りを受けて自身の心が乱れている様子を月に例えて詠んだ、不遇の身である自分を慰めた歌です。藤原俊成が絶賛した歌です。
たれもみな 花の都に 散りはてて ひとり時雨るる 秋の山里
【現代語訳】
誰もみな、花盛りの都に散って行ってしまって、私ひとりは時雨の降る山里に残っています。
『新古今和歌集』764番に収められています。長年通い続けた女性が亡くなって、供養をした山里の寺にこもっていた時に詠んだ歌です。
左京大夫顕輔、ゆかりの地
左京大夫顕輔、ゆかりの地を紹介します。
京都市左京区
顕輔は京の都で活躍しましたが、特に「左京大夫」という役職についていたことから、当時の京都の東側(左京)と深い関わりがありました。
京都の左京区は、平安時代から文化や学問の中心地の一つであり、顕輔もここを拠点として歌道を学び、活躍しました。現在の左京区には貴船神社や銀閣寺、下鴨神社など観光スポットも多くあります。
最後に
左京大夫顕輔の「秋風に~」の歌はまさに秋の夜の静けさと光の美しさを絶妙に捉えた一首です。雲間から漏れる月光という、現代を生きる私たちも目にする光景。それを千年近く前の歌人が詠み、その感動が今も変わらず伝わってくるということは、人間の心の普遍性を教えてくれます。秋の夜、月を眺める機会があれば、ぜひこの歌を思い出してみてください。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp











