
若い頃は、自分の目標や理想像を胸に、格言やことわざ、名言を「心のコンパス」のように携えていた人も多いのではないでしょうか? ところが、仕事・家庭・健康など、日々の優先順位に追われるうちに、気づけば「こんなはずじゃなかった…」と思う瞬間もあります。
ただ、いまは人生を途中で描き直せる時代です。転職や学び直し、暮らしの整え直しも、珍しくありません。情報は検索やAIが助けてくれますが、「自分はどう生きたいか」だけは、自分の言葉で確かめる必要があります。そんな「芯」となる座右の銘を、改めて持ってみませんか。
今回の座右の銘にしたい言葉は「人生行路」(じんせいこうろ) をご紹介します。
「人生行路」の意味
「人生行路」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「人がこの世に生きていく道程。人生を前途の予測のできない旅にたとえていう語」とあります。
この言葉の核心は、単に「生きること」を指すのではなく、そこに「プロセス」(過程)と「意志」が含まれている点にあります。
「人生」: 人が生まれてから死ぬまでの時間。
「行路」: 行く道。旅路。
つまり、人生を一本の長い「道」として捉える考え方です。
この言葉を座右の銘にする最大のメリットは、「いま、どこにいても、それは道の一部である」と肯定できる点にあります。順風満帆な時だけが人生ではなく、迷い、立ち止まり、回り道をしている時間さえも、大切な「行路」の一部なのだという深い受容の精神が宿っています。
「人生行路」の由来
「人生行路」は、出典が一つに固定された言葉というより、「人生」+「行路」(道のり)という漢語の組み合わせとして、意味が取りやすい表現です。
「行路」は、文字通り「道を行くこと」「旅の道のり」を表す語で、日常語としても「行路に迷う」などの形で見聞きします。そこに「人生」を重ねることで、人生を旅や道にたとえる、自然な比喩になります。
中国の唐代の詩人、李白(りはく)には『行路難』(こうろなん)という有名な詩があります。これは、「人生の道は険しく、進むのが難しい」と嘆きつつも、いつか大きな風に乗って波を切り、青い海を渡ろうとする不屈の精神を謳ったものです。しかし、日本において広く親しまれてきたのは、やはり「人生は旅である」という詩的な捉え方でしょう。
松尾芭蕉が『奥の細道』の冒頭で「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」と記したように、私たちは常に時間という道を進む旅人です。
「人生行路」という言葉には、こうした先人たちの「生に対する達観」が凝縮されています。ただ漫然と生きるのではなく、自分の足で一歩ずつ、景色を愛でながら進んでいく。そんな日本人の美意識に根ざした言葉だと言えます。

「人生行路」を座右の銘としてスピーチするなら
「人生行路」を座右の銘としてスピーチをする際は、言葉だけでは抽象的なので自分が一番苦しかった時や、逆に救われた時の短いエピソードを添えると、言葉に体温が宿ります。
以下に「人生行路」を取り入れたスピーチの例をあげます。
人生後半戦にむけてのスピーチ例
私の座右の銘は「人生行路」です。人生は、目的地だけが大事なのではなく、そこへ向かう道のりそのものに意味がある。そんなふうに受け止めています。
振り返ると、私の道は決して一直線ではありませんでした。仕事では思うように評価されない時期もありましたし、家のことでは予定通りにいかない出来事もありました。正直、遠回りに見える時間もあります。けれど不思議なもので、その回り道で出会った人や、そこで身についた習慣が、いまの自分を支えてくれています。
50代、60代になると、若い頃のように無理がきかないことも増えます。だからこそ私は、速度を競うのではなく、転ばない歩き方を選びたい。進む日があってもいいし、立ち止まる日があってもいい。どちらも人生行路の一部だと思えると、気持ちが整います。
これからも、できることを一つずつ増やしながら、自分の足で歩いていきます。皆さまも、それぞれの人生行路が穏やかで豊かな道のりになりますよう願っております。
最後に
「人生行路」という言葉には、過去への感謝と、未来への希望が同居しています。50 年、60 年と歩み続けてきた足跡は、他の誰にも真似できない、世界に一つだけの物語です。もし、いま、あなたが道に迷っていると感じているなら、それは「新しい景色に出会う前触れ」かもしれませんね。
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com











