
戦後の新憲法の目玉のひとつは、女性参政権に象徴される男女平等だった。だが、根強くある男尊女卑、夫唱婦随の空気を払拭するまでには至らなかった。
職場では男性の補佐役で、結婚を機に退社して家庭に入るのが当たり前とされた。家事と子育てに専念し、外へ働きに出る夫を支えるのが妻の役割──。
女性だけで結成された日本の登山隊が、ヒマラヤ山脈アンナプルナIII峰の登頂に成功したという報が飛び込んできたのは、そんな意識がまだ強かった1970年だ。
女性として初めての快挙であり、日本人登山家としても初。頂上を踏んだのが福島県三春町出身の田部井淳子さんである。
5年後の1975年には世界最高峰のエベレスト(8848m)登頂にも女性として初めて成功。奇しくも国連が女性の地位向上のための国際婦人年を宣言したのと同じ年だが、田部井さんは後年、エッセイの中でこう綴る。
《記録をつくりたいからでも、自分の限界を試したかったからでもありません。私が世界中の山を回っているのは、「自分が見たことのない景色を見たい」から》(※『人生、山あり“時々”谷あり』(潮出版社))

自分の好奇心に忠実に生きた田部井さん。その足跡を展示する施設が、この4月にオープンした田部井淳子記念館だ。
「田部井さんの資料は、これまで三春町歴史民俗資料館の一角で展示していたのですが、新たな交流拠点・アウトドアヴィレッジ三春に入るアウトドア用品店『モンベル三春店』と併設する形で移転しました。スペースを広げ、展示方法も一新しています。登山史や道具など高い専門性が必要な展示の監修は、モンベル側の専門家にお願いしました」(三春まちづくり公社代表・新野徳秋さん)



来館者数は大きく伸びたそうだ。ひとりあたりの滞在時間が長いことも大きな特徴だという。見ていると、リュックや登山ウェアを品定めしてから資料館へ立ち寄る女性連れが多い。時代に先駆け、仕事と家庭、好きなことは両立可能なことを示した田部井さんは、現代の女性たちにとっても理想の先達なのだろう。
田部井淳子略年表

1939年(昭和14)…福島県三春町で印刷業を営む石橋家に生まれる(7人きょうだいの末っ子)。幼少期は病弱で運動が苦手だった。
1949年(昭和24)…小学4年生のとき担任の先生に誘われ那須山系茶臼岳と朝日岳に登る。以降、安達太良山など福島県内の山々を登る。
1958年(昭和33)…昭和女子大学に入学。友人に誘われ御岳山(東京都)に登る。大学2年のときに富士山に登り御来光に感動。
1965年(昭和40)…卒業後は社会人山岳会に所属。谷川岳一ノ倉沢で後に夫となる田部井政伸さんと出会う。2年後に結婚。
1969年(昭和44)…女子登攀(とうはん)クラブを設立。翌’70年に女性初、かつ日本人で初めてヒマラヤ・アンナプルナⅢ峰を登頂。
1975年(昭和50)…エベレスト日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長として世界最高峰(8848m)の頂上に女性として初めて立つ。
1992年(平成4)…世界初の七大陸最高峰女性登頂者となる。一連の功績により’95年に内閣総理大臣賞を受賞する。
2016年(平成28)…東日本大震災で被災した東北の高校生を登山で勇気づけるプロジェクトで富士山の7合目まで登る。これが人生最後の山行となる。同年秋、77歳で没。

新しい都市農村交流
『モンベル三春店』が特に力を入れている売り場が自転車、カヤック、テントのコーナーだ。

「三春周辺に目立った山はないのですが、ほどよいアップダウンが続くあぶくま高原に位置し、自転車での散策に向いています。電動式のクロスバイクなら体力に自信のない方でも気軽に自然を楽しむことができます」(中村肇店長)

アウトドアヴィレッジ三春には、カヤック体験ができるさくら湖(三春ダム)もある。今夏には湖を見下ろす場所にキャンプ場もオープンした。従来からある農産物直売所や宿泊施設、郷土料理の店も今までに増して賑わう。「相乗効果を実感しています」(新野さん)
自然を核にした新しい都市農村交流は、着実に根を広げている。
アウトドアヴィレッジ三春

2階が田部井淳子記念館。

ビジターセンター営業時間:9時〜18時※貸出17時まで。

福島県田村郡三春町西方石畑350-1
電話:0247・61・6789
営業時間:10時〜17時(記念館)、〜19時(モンベル)
入館料:無料
定休日:無休
取材・文/鹿熊 勤 撮影/藤田修平












