
文・絵/牧野良幸
長嶋茂雄さんが逝去された。現役時代は「ミスタージャイアンツ」と呼ばれ、プロ野球ファンを魅了した。現役を退いてからも、「ミスタープロ野球」と呼ばれ多くの日本人に愛されてきた。
そこで今回は長嶋さんが出演している映画『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』を取り上げる。カメオ出演ではなく、長嶋さんが主演をしている映画だ。
映画の公開は1964年(昭和39年)。東京オリンピックが開催された年である。
長嶋さんが巨人に入団したのは映画公開の6年前にあたる1958年だ。映画のタイトルから、公開時にはすでに長嶋さんが「ミスタージャイアンツ」と呼ばれていたことがわかる。
ちなみに僕は長嶋さんが巨人に入団した年の生まれである。映画公開時は6歳ということになる。
その頃は僕も多少物心がついており、長嶋選手のことはよく知っていた。なにせ少年漫画誌の表紙とか、子ども向けの商品(パジャマからメンコにいたるまで)など、さまざまなところに長嶋選手がいたのだ。子どもが憧れないわけがない。子どもに空想と現実の境界はなく、長嶋選手は鉄腕アトムやエイトマンのようなヒーローだった。
実際に球場に長嶋選手を見に行ったこともある。映画公開の数年後、おそらく巨人のV9が始まった頃だと思うが、名古屋の中日球場(当時)に家族で中日対巨人戦のナイターを見に行った。
「巨人、大鵬、玉子焼き」とはよく言ったもので、当時はドラゴンズの地元でさえ、小学生には巨人が人気であった(地元意識が芽生えるのは中学生になってからである)。二歳上の兄と僕は「席はぜったい三塁側にしてよ」と親に強く頼んだ。内野寄りの外野席から「あれが長嶋か……」とサードを守るその人を凝視したものである。
前置きが長くなった。では映画の話に入ろう。
本作『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』は、そんなグランドで活躍する現役時代の長嶋さんに会える映画だ。先にも書いたように、映画の主人公は読売ジャイアンツの若きヒーロー長嶋選手である。それを長嶋茂雄本人が演じている。
ストーリーは映画公開の前年にあたる1963年の、巨人の日本シリーズ優勝までの長嶋の活躍を描く。
その意味ではセミドキュメンタリーかもしれないが、試合の映像以外は、映画のためのストーリーと撮影である。長嶋に憧れる高校球児や、長嶋の三冠王を願うハイヤー運転手とその家族が描かれて、ファン目線の物語も重ねている。
俳優はフランキー堺をはじめとして、東宝の「駅前シリーズ」の俳優が多数出演している。監督もこの頃から同シリーズを撮ることになる佐伯幸三である。さらに最後の優勝祝賀パーティでは名だたる俳優が特別出演しているので、それは実際に観てのお楽しみだ。
入団5年目のシーズンを迎えた長嶋は、オフシーズンでもマスコミの注目の的だった。新聞記者が長嶋を追いかけるが、居場所がわからない。球団の広報担当者、坂井(フランキー堺)にたずねても、坂井はとぼけて教えない。
その頃、長嶋は箱根で密かにトレーニングをしていた。ランニングから帰ると、
「ただいまー」と長嶋。
「毎日、大変ですねえ」と山荘のおかみ(淡島千景)。
「あたりまえですよ、お世話になってるんですから」
笑いながら上着とファンレターを受け取る長嶋。ファンレターの中に友人からの速達が入っていた。今日会いたい、という内容だが、今からでは間に合わない。長嶋は「困ったなあ」という表情で、
「今、何時ですか? 遅いかなあ……ちょっと電話貸してください」
と、冒頭から細かい演技である。
今見るとミスタージャイアンツも若い。練習中に立教大学時代のことを振り返るなど、まだ初々しい青年だ。そして成長の途中でもある。
練習では千本ノックを受ける。最初は軽快にボールさばいていくが、ノックを受けるうちに疲れが出てくる。それでもボールに食らいついていくところは、演技とはいえリアルである。一方で打撃練習のシーンは、往年のバッティングを見ることができて一瞬映画であることを忘れた。
演技では巨人ナインも負けていない。川上監督をはじめ、王選手、広岡選手、藤田選手、国松選手、柴田選手ら、当時のジャイアンツの選手たちが本人役で出演。冗談交じりの会話まで、いろいろな芝居をする。
ナインの中では、やはり王選手の出番が多い。たとえば
「チョーさん、張り切ってますね」
「おー、ワンちゃん、ちょっと見てくれよ」
お互いがバットスイングを見て批評し合う場面だ。ちなみに王選手は当時コマーシャルに出ていた栄養ドリンク剤を飲んだりして、遊び心のある演出だ。
しかしこの映画の一番の見どころは、長嶋をヒーローだけではなく、苦悩する野球選手としても描くところにある。1960年代後半に流行する、“スポ根”を先取りしているのだ。
ある時から長嶋はスランプになる。巨人もペナントレースで苦戦が続いた。長嶋の心には野球しかないが、約束があって坂井と出かけたクラブでは、巨人ファンの客(西村晃)が赤ら顔で長嶋に絡む。
「長嶋くん、今夜の試合はなんだい。ペナントレースは重大なことになっている。だいたい君、成績なってないじゃないか」
その言葉を黙って背中に受け、店を出ていく長嶋。ホステスたちが酔っ払いを残して、いっせいに長嶋の後を追いかけるところがユーモラスだ。
「ねえ坂井さん、野球選手は人間らしい生活を送ってはいけないのでしょうか?」
長嶋は坂井に悩みを打ちあける。しかし坂井は安易な慰めの言葉はかけない。
「自分の道を開いていくのは孤独なんだ。誰にも責任を押し付けるわけにはいかないんだ」
しかし悩んでいるのは長嶋だけではなかった。長嶋に憧れる高校球児の稔(織田新太郎)も、喧嘩が原因で野球ができなくなってしまったのだ。グレて家を飛び出した稔だが、ラジオで長嶋のフェアプレイを讃える話に胸を打たれる。
長嶋のホームランボールをスタンドで取った稔が、試合後に長嶋を待ち伏せ、サインを求める場面がある。ナイターのあと、後楽園球場の駐車場と思うが、私服に着替えて自動車に乗ろうとする長嶋は、まるで日活の俳優のようである。
ボールにサインをした長嶋は、稔を車で送ってあげるが、車中で稔は自分の悩みを打ち明ける。
「よく話してくれたね、僕もね……」
長嶋は天覧試合でのサヨナラ本塁打の話をする。あの試合で巨人は7回、王選手のホームランで阪神に追いつくと、9回に長嶋がサヨナラ本塁打を打って勝負を決めた。
「どんな時でも、逆転のチャンスはあるんだ」
「はい、野球はできなくなったけど、他のことで逆転します!」と稔も元気を出す。
「そうだ、頑張ってくれよ!」と長嶋。
その口調は、まさしく日本人がみんな勇気づけられた、あの長嶋さんの口調である。背番号「3」をつけた長嶋さんを観て、あらためて長嶋さんを偲びたいと思う。
【今日の面白すぎる日本映画】
『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』
1964年
上映時間:90分
監督:佐伯幸三
脚本:八住利雄
出演者:長嶋茂雄、フランキー堺、伴淳三郎、淡島千景、西村晃、川上哲治、王貞治、読売ジャイアンツ選手、ほか
協力:読売巨人軍
音楽:服部良一
主題歌:「勝利の旗」(坂本九)
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。
ホームページ https://mackie.jp/

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