幕臣・土山宗次郎に身請けされる

誰袖の名が江戸中に広まったのは、勘定組頭であり老中・田沼意次の腹心だった土山宗次郎によって、1,200両という莫大な金額で身請けされたことによります。

この豪遊ぶりが世間の注目を集めると同時に、金の出どころには疑念も生じることになります。

土山宗次郎
土山宗次郎

『文武二道万石通』に描かれた遊興

朋誠堂喜三二(ほうせいどう・きさんじ)による黄表紙『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくとおし)』(1788年刊)には、土山宗次郎と誰袖の遊興を思わせるような場面が描かれています。

大磯という地名が用いられながらも、実際には吉原での贅沢な遊びを指しており、幕府の高級官吏の遊興を風刺する意図があったと考えられます。

『文武二道万石通』で大磯の遊興を描いた場面。出版者は、蔦屋重三郎
喜三二 戯作 ほか『文武二道万石通 : 3巻』,[蔦屋重三郎],[天明8(1788)]. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/9892612

やがて田沼意次が失脚し、宗次郎も天明期の米買い上げに関わる不正の疑いで死罪となるなど、時代の流れは大きく変わっていきます。

その後、誰袖がどうなったのかは、定かではありません。

まとめ

誰袖は、吉原の華やかさを象徴する花魁でありながら、その存在は江戸の政治や文化の転換点とも密接に結びついていました。身請けという一見華やかな出来事の背後に、権力、贅沢、そして失脚というドラマが潜んでいたのです。

今では名前しか残されていない彼女ですが、その生涯には、時代の光と影が刻まれていたように思われます。誰袖の名が、江戸という都市の記憶のひとつとして語り継がれていく理由も、そこにあるのかもしれません。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『日本古典文学全集』(小学館)
『日本国語大辞典』(小学館)

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