はじめに-二代目市川門之助とはどのような人物だったのか
二代目市川門之助は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した歌舞伎役者です。「若手四天王」の一人と称されるほどの人気を誇りました。
市川門之助の名跡は、江戸時代から現代に至るまで続いており、現在は八代目まで数えます。
二代目門之助は特に重要な役者の一人であり、江戸歌舞伎の発展に大きく貢献しました。そんな二代目市川門之助ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、浄瑠璃の太夫・富本午之助(のちの富本豊前太夫)とともに女性に人気の役者(演:濱尾ノリタカ)として描かれます。

目次
はじめに-二代目市川門之助とはどのような人物だったのか
二代目市川門之助が生きた時代
二代目市川門之助の生涯と主な出来事
まとめ
二代目市川門之助が生きた時代
二代目市川門之助が活躍した時代は、江戸の庶民文化が最高潮に達した18世紀後半でした。江戸の町人文化は成熟し、洒落本や黄表紙、川柳など「通(つう)を理想とする質の高い文芸」が次々に生まれました。
歌舞伎の世界でも、この文化の流れを受けて、従来の豪快な演出や荒事(あらごと)一辺倒の芝居から、洗練され、洒脱で機知に富んだ作劇や演出が求められるようになったのです。また、この時期には江戸庶民の生活が安定し、消費文化が発展したことで、のんびりとしたおおらかな歌舞伎が好まれる傾向にありました。
門之助の活躍した時代は、江戸庶民文化が円熟し、歌舞伎がより精巧で洗練された演劇へと進化していく、まさに過渡期だったのです。
二代目市川門之助の生涯と主な出来事
二代目市川門之助は寛保3年(1743)に生まれ、寛政6年(1794)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
上方での修業と江戸でのデビュー
二代目市川門之助は、寛保3年(1743)に生まれ、都八重太夫の子として育ちました。若い頃に大坂で歌舞伎の修業を積み、舞台経験を積んだ後、江戸へと戻ります。
宝暦12年(1762)、門之助は初代門之助の養子となり、市川弁蔵を名乗ります。明和7年(1770)には中村座で、二代目門之助を襲名しました。

豊国『古今俳優似顔大全 初代市川門之助・二代目市川門之助・三代目市川男女蔵』,広幸,文久3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1308153
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