若衆形としての成功
当初、門之助は「若衆形(わかしゅうがた)」として人気を博しました。若衆形とは、端正な容姿を生かして演じる美少年役のことで、江戸時代の歌舞伎においては非常に重要なジャンルでした。
彼の演技は洗練されており、観客を魅了する存在だったといわれています。
立役への転向と「若手四天王」
安永6年(1777)になると、門之助は元服し、立役(たちやく)へと転向します。立役は、敵(かたき)役に対する善人の壮年・中年男子役のことです。
この転向は成功し、門之助は安永期の「若手四天王」として大いに注目されることになります。他の三人は、二代目市川八百蔵(いちかわ・やおぞう)、三代目沢村宗十郎(さわむら・そうじゅうろう)、初代尾上松助(おのえ・まつすけ)と、いずれも実力派の役者でした。彼らは競い合いながら、江戸の歌舞伎界を盛り上げていったのです。
晩年と死去
門之助は安永・天明年間を通じて人気を保ち続けましたが、寛政6年(1794)10月19日に52歳で亡くなりました。彼の死後も、市川門之助の名は後継者たちによって受け継がれ、現在まで続いています。
まとめ
二代目市川門之助は、若衆形から立役へと転向し、江戸の歌舞伎界で「若手四天王」の一人として活躍した名役者でした。
上方で修業を積んだ門之助は、江戸に戻り初代門之助の養子として家名を継ぎ、歌舞伎界で確固たる地位を築きました。時代の流れに応じて演技スタイルを変えながらも、観客を魅了し続けた門之助の姿勢は、現代の歌舞伎役者たちにも影響を与えています。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)
