蝦夷地開発や印旛沼・手賀沼の干拓事業に尽力

秀持は田沼意次の信任を受け、蝦夷地開発や印旛沼・手賀沼の干拓事業に尽力しました。これらの事業は新たな財源確保や貿易振興を目指したものでした。蝦夷地の実情については、秀持の命により『蝦夷拾遺』という地誌にまとめられました。

手賀沼
手賀沼
『川瀬巴水版画集 2』出版者:渡辺画版店、昭和10年(1935)刊(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2586550/1/13/をトリミングして作成

田沼政権崩壊と失脚

天明6年(1786)、田沼意次が失脚すると、秀持もその影響を受けます。同年10月、勘定奉行を罷免され、小普請組に転じ、知行地を半減される憂き目に遭いました。

その後も職を復することはなく、寛政8年(1796)に逼塞(ひっそく)を許されるまで苦境が続きました。

晩年と死去

寛政9年(1797)6月5日、松本秀持は68歳で亡くなりました。浅草の幸龍寺(現在は世田谷区に移転)に葬られたとされています。

彼の生涯は、田沼政権という激動の時代に翻弄された幕臣の姿を象徴しているかのようでした。

まとめ

松本秀持は、江戸時代の幕府財政政策の中枢で活躍し、蝦夷地開発や干拓事業、産業振興など多岐にわたる改革に取り組みました。その功績は一定の評価を受ける一方、田沼政権とともに失脚した点から、秀持の評価は時代によって異なります。

秀持の生涯を振り返ると、江戸時代中期から後期にかけての幕府の政策課題や、成功と失敗の両面が浮かび上がります。秀持が果たした役割は、当時の日本社会の転換期における重要な一幕を形作るものだったといえるでしょう。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『日本人名大辞典』(講談社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)

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