文/鈴木拓也

佐渡の金山:道遊の割戸

今年7月、佐渡島の金山が世界遺産に登録された。その翌月の当地への来訪者は約4万4千人を数え、過去10年で最多であったという。

現在の日本には、狭い国土ながら26件もの世界遺産がある。そのせいか、日本人の世界遺産への関心は、他国に比べて「非常に高い」―そう言うのは、ユネスコの世界遺産条約事務局の林菜央さんだ。

林さんは、当局のアジア太平洋デスクの専門担当官として長年勤務。担当域の世界遺産の保存修復状況について、政策支援を行っている。

その林さんが先般上梓したのが、新書『日本人が知らない世界遺産』(朝日新聞出版 https://publications.asahi.com/product/24963.html)だ。

書名どおり本書は、我々の多くが知らない世界遺産の知識が詰まった1冊。その一部を、今回は紹介しよう。

ほとんどの国が締約する国際条約

世界遺産の歴史は、古いようで新しい。

戦後まもなくユネスコが取り組んだのは、戦時に略奪された美術品の回収と返還。このとき、「人類共通の遺産」という概念が萌芽した。

より具体的なかたちを伴ったのは1959年のこと。古代エジプトのアブ・シンベル神殿を含む遺跡を、アスワンハイダム建設による水没から救うという国際キャンペーンが行われた。これで、50か国以上からの資金・技術の提供があり、遺跡は無事に解体・移築された。

これが契機となって、世界的な遺産を保護しようという機運が高まり、1975年に「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」が発効した。今や、条約の締約国は195か国、世界遺産の登録件数は約1200件。それらは、文化遺産、自然遺産、複合遺産に大別されるが、文化遺産がその多くを占めている。

締約国がこれほど多い理由として、世界遺産がもたらす「利益」の大きさを、林さんは指摘する。

世界遺産になるということは、国が誇る歴史的史跡・自然エリアなどを世界的に有名にし、国や国民の心のよりどころ、自国の象徴として認められることです。世界史に出てくるようなメガ級の遺産はもちろん、登録前にはそれほど知られていなくても、世界遺産となって知名度が上がり、観光スポットとして大きな経済的恩恵をもたらしているケースも少なくありません。(本書36pより)

これは、地元に世界遺産がある方なら、誰しも実感していることかもしれない。京都と奈良の県境に住む筆者(鈴木)も、由緒ある建築物の威容と、大勢の外国人観光客を見るたびに、世界遺産の威力を知る。もちろん、それだけがすべての要素ではないだろうが。

焼失した首里城はどうなる?

いったん世界遺産として登録されれば、永続的にそれが続く……わけでもないようだ。

そもそも世界遺産に登録されるには、「顕著な普遍的価値」を持っているなど厳格な基準があり、その基準は登録後も満たし続けていることが求められる。

それが満たせず、世界遺産リストから抹消された例として、林さんは、ドレスデン・エルベ渓谷を挙げる。その理由は、登録後に建設された4車線橋が、顕著な普遍的価値を損ねたと判断されたためだ。

また、「危機にさらされた遺産(危機遺産)」というのもある。これは、世界遺産の登録後に、武力紛争や自然災害などによって、遺産としての存在が危ぶまれているものを指す。日本人にもよく知られる例は、タリバンに破壊されたバーミヤンの石仏だろう。ここは、日本政府のユネスコ信託基金などを資金源として、危機遺産の「卒業」を目的に、修復活動が行われている。

では、2019年に焼失した首里城はどうなのだろうか?

首里城跡を含む「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録されたのは2000年のこと。首里城自体は、戦後になって多くの資料をもとに往時の姿を再現したものだ。そのため、「真正性の条件を満たした再建築物」と認められており、世界遺産としての価値は失われてはいないというのが、ユネスコの見解。さらに林さんは、次のように記している。

首里城の復元工事が、2019年3月に全て完了して間もない時期の火災であり、関係者のご心痛を想像すると言葉もありません。
再びの復元にはおそらく、長い年月がかかることと思いますが、世界遺産としての価値を維持するため、歴史資料に基づいた工事を進めていただくとともに、災害予防の対策を、どの世界遺産でも見直し強化していただくことが大切と考えます。(本書143pより)

最近のニュースによれば、首里城正殿は2026年秋には完成する見込み。個人的にも復興は願ってやまないところだ。

時には危険な目にも遭う担当官の仕事

冒頭で、林さんは「アジア太平洋デスクの専門担当官」であると触れたが、具体的にはどんな業務なのか関心がわくかもしれない。

本書の主題はそこではないが、ところどころ仕事内容について言及されている。その1つが、ベトナムのファンニャ=ケバン国立公園の探訪だ。林さんは、公園内の大洞窟に至るケーブルカーを作るという情報を得て、保全上の問題となるか査察を行った。といっても単独行ではなく、ユネスコとベトナム政府の両スタッフ、ライフガード、ポーターら合わせ50人近い大所帯。「背丈より高い草をかき分け、雨で泥と化した道なき道を滑りながらの行軍」というから大変だ。おまけに林さんは、ヒルに嚙まれ上半身血だらけになったという。

難行苦行の合間に、地元の村で供された食事に舌鼓を打ち、洞窟内の湖で泳いだりしつつ、査察ミッションを実施。後日、報告書をまとめて提出した。その中で、ケーブルカーの件については建設の停止を勧告したという。

こうした、一歩間違えば命とりになる所ばかり行くわけではないが、デスクワークのみで完結せず、かなりのフットワークが求められる職場のようだ。林さんは、20年以上にわたって職場を7か所変えながらユネスコで働き、子育ても両立した。しんどい面もあるが、世界の文化や人と交流したいなら、理想の仕事であるとも書いている。

世界遺産の話に戻すと、健全な保全のために我々ができることは「本当にたくさん」あるそうだ。それは例えば、当地の製造者を支援する店で買い物をする、公式ガイドに道案内を頼むといったささやかなもの。こうした地道な積み重ねがあってこそ、人類の遺産は守られていく。世界遺産に関心のある方なら一読をすすめたい。

【今日の教養を高める1冊】
『日本人が知らない世界遺産』

林菜央著
定価990円
朝日新聞出版

文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。

 

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