宇佐神宮奉幣使を務めた宣孝

I:さて、大河ドラマファンの方の中には、毎年必ず大河ドラマゆかりの地への旅行を楽しむ人は多いですが、今回宣孝が足を運んだという宇佐神宮にも、行かれた人はいらっしゃいますかね。

A:かつての表参道で現在は西参道になっている道は、かつては勅使が通る道として知られています。長い直線道路が往時を偲ばせます。宇佐神宮をお参りする機会があれば、こちらも散策してほしいですね。実は宇佐神宮は隼人との戦いの際の最前線だったといわれていて、勅使街道の周辺には隼人を葬ったと伝承される凶首塚古墳など見どころが多いです。

I:宇佐神宮は全国にたくさんある八幡社の本宮で、伊勢神宮に次いで、「皇室の第二の祖廟」とも称される重要な神社ですよね。

A:奈良時代に、聖武天皇が奈良に廬舎那仏(大仏)を建立した際には宇佐から八幡神が輿に乗って奈良に入京し、道鏡が皇位を簒奪しようかという際には和気清麻呂がその可否を問うために赴いた「宇佐八幡神託事件」の舞台となるなど、皇室との縁浅からぬお社として有名です。長保元年(999)に宣孝が奉幣使=勅使として宇佐に参ったのは、その2年ほど前から外国勢力が九州を襲っていたという背景があったのだと思います。

I:いわゆる刀伊の入寇(寛仁3年/1019)の前にもそんなことがあったのですね。

A:はい。『権記』や『小右記』には内容が異なるものの外国勢と思われる賊が襲ってきたことが記されています。おそらく宣孝はその来襲が収まったのを受けての勅使=奉幣使だったと思われます。

I:大切な宇佐への奉幣使として神々へ拝礼するからには、派遣される人物の人選は慎重に行なわれたはずです。そこで選ばれたわけですから、やはり有能だったのでしょうね。

A:現代でもよく「上司にしたい有名人」などの話題で賑わったりしますが、宣孝は間違いなく「上司にしたい」「同僚にこんな人がいてほしい」という好人物だったに違いありません。

I:宇佐神宮は現在も勅使を迎えてのお祭、勅祭が行なわれる16社の神社のうちの1社です。直近ですと2025年に勅使がお参りすることになっています。

I:さて、劇中では宣孝没後に紫式部が詠んだとされる和歌が登場しませんでしたので、紹介したいと思います。「見し人のけぶりとなりし夕べより 名ぞむつましき塩釜の浦」です。「親しい人が亡くなって煙となって消えてしまった夕方以降、仲睦まじいという音に通じる陸奥の国にある塩釜の浦の塩焼きの煙までも慕わしく感じられる」という心情を歌っています。

A:『新古今和歌集』掲載の歌ですね。声に出して詠じて宣孝を偲びたい思いがしますね。

●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。

●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

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