ライターI(以下I):『光る君へ』第26回では、藤原宣孝(演・佐々木蔵之介)がまひろ(演・吉高由里子)に手鏡をお土産に持ってきました。「このようなよくうつる鏡で自分の顔をまじまじと見たことがありませぬ」とまひろが言っているのを聞いて、鏡の歴史に思いを馳せたくなりました。
編集者A(以下A):なるほど。こんなことがなければ鏡の歴史なんて考えないですよね。「鏡のルーツ」は水面にうつる(実際には反射)自分の姿なんでしょうね。そういうことを考えると銅鏡などの金属鏡の出現は大発明。『魏志倭人伝』に魏から卑弥呼に銅鏡百枚が下賜されたという記述もあるように、貴重品であると同時に、古代には儀礼的に使われた神聖なものでした。
I:八咫鏡(やたのかがみ)が三種の神器のひとつになっているように、鏡は、神鏡、宝鏡と称されることも多く、神社のご神体になっていることも多いですよね。世界遺産沖ノ島(福岡県宗像市)の祭祀跡からも銅鏡などが採取されていたり、古墳の副葬品にも鏡が納められていますから、「鏡の日本史」って面白そうですね。
A:古代の銅鏡は、博物館などで展示される文様が施されている面が裏面で、鏡の機能のある表面はあまり展示されません。
I:表面は研磨されてつるつるな感じになっているのですよね。
A:はい。そして、現在の鏡のような「ガラス鏡」が初めて日本にもたらされたのは戦国時代。フランシスコ・ザビエルが持って来たといわれます。当初は貴重品で、一般に普及し始めるのは江戸時代中期でしょうか。確かに鏡の歴史も興味深いですね。
I:ところで、宣孝の贈り物の鏡はうつりがとっても鮮明だったのが印象的でした。よっぽど高級品だったのでしょう。宣孝のまひろに対する思いの深さが伝わってきますね。
【『源氏物語』に登場する鏡の和歌。次ページに続きます】