藤原道長に招かれ彰子に仕える
悲嘆にくれていた和泉式部を、女房として宮中に招いたのが、彰子と父・道長でした。和泉式部は娘の小式部内侍とともに出仕。女房は和歌や読書の指導をするいわゆる家庭教師としての役割も担っており、道長が和泉式部の才覚を買っていたことがわかります。ちなみに、これは寛弘6年(1009)のことで、その前年には紫式部が彰子に出仕しています。
『和泉式部日記』には、道長との次のようなエピソードが綴られています。道長が和泉式部の扇に、「うかれ女(め)の扇」といたずら書きをして、恋に奔放な和泉式部をからかいました。そのときに、道長に向けて詠んだ和歌がこちらです。
「こえもせむ こさずもあらむ 逢坂の 関もりならぬ 人なとがめそ」
(男女の逢瀬の関を越える者もあれば、越えない者もいます。関守でもないのだから、とがめ立てしないでください)
さすがの道長も一本取られた、というところでしょうか……? 和泉式部の頭の回転の早さがわかります。
【夫との不和、愛娘との死別。次ページに続きます】