道長30歳で執政就任
I:ということで、道長が30歳にして内覧・右大臣になり、貴族社会のトップに躍り出ます。対抗馬の伊周が22歳の若さということで問題になりませんでしたが、このとき道長は30歳。これでも若過ぎる年齢での就任となりました。
A:内覧というのは前週も説明しましたが、天皇に奏上される文書などを事前にすべて見ることができる権限のことをいいます。権力の源泉はこの権限に集約されている感があります。道長は「右大臣と内覧」で権力を掌握したことになります。
I:貴族社会から受け入れられようと公卿らを集めてもてなすなど伊周も「自分は変わった」ということをアピールしていましたが、涙ぐましい努力も無に帰しました。定子に「皇子を産め!」と迫っているところは、父道隆にそっくりでしたね。
A:この時代のリーダーの条件は門閥がもっとも優先されるわけですが、それでも「徳」がなければ、人望は得られない。伊周のケースはそういうことを教えてくれます。皆地位に対して敬意を払いますが、その地位を退いたら蜘蛛の子を散らすように人は離れていく場合も多いといいます。多くのリーダーはその心得を学ぶことが多いのでしょうが。真のリーダーには、天性の能力がありますから、自然と人が集まるといいます。そうした人は稀ですが実際にいます。
I:道長をどういうリーダーとして描いていくのでしょうか。ちょっと楽しみです。さて、第18回のラストはなんだか不思議な場面が展開されました。ふたりが初めて結ばれた思い出の廃邸にそれぞれ立ち寄ります。ところがふたりは目も合わせず、言葉も交わさない……。いったい何がどうなったの? そんな不思議な場面になりました。
A:ふたりの間に起こっている出来事は夢なのか現(うつつ)なのか……。なんだかそんな不思議な感覚に襲われますね。
I:私は、このラストの場面を見てから全体を振り返り、ふと思ったことがあります。今週のまひろは、藤原宣孝が大宰府からもって来た唐の酒を口にし、清少納言(演・ファーストサマーウイカ)が中宮定子からいただいたという菓子も食していました。父為時が散位(無職)であるといっても、暮らしが立ち行かなくなることもありません。貴族社会の中では貧しいのかもしれませんが、庶民の暮らしと比較すれば幸せなんだなと思いました。
A:確かにこの時代にあのようなお菓子を食べられるのは一握りの人だけですよね。
I:ちなみにあの菓子は「梅枝(ばいし)」といって、うるち米を粉にして練って揚げた八種の唐菓子のひとつのようでした。平安時代末期から鎌倉時代初期の食に関する儀礼や故実をまとめた『厨事類記』という書物にレシピがあって、私も作ってみたことがあります。味の薄いかりんとうみたいな揚げ菓子でした。愛知県の津島神社の門前に伝わる「くつわ」という揚げ菓子が似たような感じじゃないかと思います。
A:さて、30歳にして貴族社会の頂点にたった道長。父兼家(演・段田安則)から兄の道隆、道兼へと続く権力の異動を映像で見ることで、くっきりと浮かびあがったことがあります。道長への権力異動は「兼家がつき、道隆がこねし天下餅」だったということを。
I:有名な「織田がつき、羽柴がこねし」のパクリですね(笑)。道長が「座ったまま」だったかどうかはともかく、いいえて妙ですね。
A:さて、伊周も黙ってはいないでしょうから、今後の権力闘争の帰趨がどう描かれるのか楽しみですね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり