清原元輔(きよはらのもとすけ)は、『枕草子』の作者として知られる清少納言の父です。知名度はあまり高くないかもしれませんが、平安時代中期を代表する歌人として、娘ともども『小倉百人一首』に選ばれています。また漢学にも造詣が深く、清少納言の才は父親譲りといえそうですね。

ちなみに、元輔の祖父・清原深養父(きよはらのふかやぶ)も百人一首に選出されています。

本記事では清原元輔の和歌とともに、そのゆかりの地なども紹介します。

清原元輔
『百人一首画帖』(提供:嵯峨嵐山文華館)より

目次
清原元輔の百人一首「契りきな〜」の全文と現代語訳
清原元輔が詠んだ有名な和歌は?
清原元輔、ゆかりの地
最後に

清原元輔の百人一首「契りきな〜」の全文と現代語訳

清原元輔は、村上天皇の御代に、「梨壺五人(なしつぼのごにん)」に選ばれ、漢学の知識を生かして『万葉集』の解読や、古今和歌集に次ぐ勅撰和歌集である『後撰和歌集』の撰集などを行ないました。いかに優れた歌人であったかがわかりますよね。その元輔の有名な歌が、

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

この和歌は、『小倉百人一首』の42番目に収められています。現代語訳すると、「固く約束を交わしましたね。互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、波があの末の松山を決して越すことがないように、二人の仲も変わることはないと」。

「契りきな」の「き」は過去、「な」は終助詞を表し、「約束しましたね」という訳になります。「かたみに」は互いに、「袖をしぼる」は涙で濡れた袖を絞る、とても悲しむこと、という意味です。

ちなみに「末の松山」は、現・宮城県多賀城市の松林の小山で、貞観(じょうがん)大地震でも津波がそこを越えることはなかったと伝えられています。このことから、「末の松山を波が越える」という表現は、あり得ないことのたとえで、ここでは心変わりすることのたとえとして用いられてきました。

清原元輔
清原元輔
『百人一首画帖』(提供:嵯峨嵐山文華館)より

この和歌が誕生した背景

直接的な表現はないにしろ、「二人の仲は決して変わることはないと約束したのに、それなのに……」、ということを連想させ、恋に破れた歌であるとわかります。

けれども元輔が失恋したのではなく、友人の話。恋人に去られた友人に代わって、その気持ちを和歌に表し、相手に届けたようで、『後拾遺和歌集』の詞書に「心変わりて侍りける女に、人に代わりて」とあります。

実はこの和歌は、『古今和歌集』の「君をおきて あだし心を 我が持たば 末の松山 波も越えなむ (あなたの他に心が引かれるようなことがあれば、波は末の松山も越えてしまうことでしょう)」が元になっています。いわゆる本歌取(ほんかど)り(古歌の趣向などを取り入れて新しい歌を作ること)といわれる手法です。

清原元輔が詠んだ有名な和歌は?

清原元輔は、三十六歌仙のひとりにも選ばれています。ここでは元輔の人生を感じさせる代表歌を2首、紹介しましょう。

1:誰がためか 明日は残さん 山桜 こぼれてにほへ 今日の形見に

『新古今和歌集』に収められています。太政大臣・藤原実頼が京の嵯峨・月輪寺(つきのわでら)で花見を行なった時の歌。現代語訳は、「いったい誰のために明日まで花を残しておくことがあろうか、山桜よ。太政大臣様のため、散りこぼれて最後の美しさを見せてほしい、今日の記念として」。

この時代、桜といえば山桜でした。月輪寺は愛宕山の山中にあり、周囲には美しく桜が咲いていたことでしょう。

2: いかばかり 思ふらんとか 思ふらむ 老いてわかるる 遠き別れを

『拾遺和歌集』より、肥後守として都を下る時、送別の宴で源満仲に贈った歌。現代語訳は、「私がどれほど悲しい思いをしていると、あなたは思っているだろうか。年老いて遠くへと別れるこの別離を」

寛和(かんな)2年(986)、なんと78歳にして肥後守に任じられた清原元輔は、その赴任地にて、82歳で亡くなりました。

清原元輔、ゆかりの地

清原元輔は、現在の東山・泉涌寺(せんにゅうじ)付近に山荘を持っており、清少納言は、晩年をそこで過ごしたと伝えられています。ほかに、元輔ゆかりの地を、和歌とともに紹介しましょう。

1:船岡山

船岡に 若菜つみつつ 君がため 子の日の松の 千代をおくらむ

京都市北区にある標高約112mの船岡山は、眺望もよく、当時は貴族の遊興の場所でした。元輔は正月に、ここ船岡山で若菜を摘みながら長寿を祈ったのです。ちなみに清少納言も「丘は船岡」と称えています。

2:桂川

思ひいづや 人めなかりし 山里の 月と水との 秋のおもかげ

場所は嵐山、桂川のほとり。平安時代、この界隈には貴族の山荘が設けられ、舟遊びなどが興じられました。この歌は、人目のないところで、水に月が映るのを一緒に見た女性に対して贈った歌といわれています。

最後に

清原元輔は高官の屋敷に出入りして祝いの歌を詠むなど、今でいう人気の歌人でした。また、歌合わせ、屛風絵の主題に合わせて歌を詠む屛風歌など、即吟が得意な天才肌で、『枕草子』にも優れた歌人としての逸話が残されています。

清少納言の父というだけではなく、元輔の残した秀歌の数々に触れ、万葉集の解読などの功績にも改めて注目してみたいものです。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/深井元惠(京都メディアライン)
HP: https://kyotomedialine.com FB
校正/吉田悦子
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)

●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp

 

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