大納言公任とは、藤原公任(ふじわらのきんとう)のこと。平安時代を代表する歌人であり、漢詩、和歌、管絃にも優れた当代きっての芸術家でした。

勅撰集『拾遺和歌集』のベースとなった『拾遺抄』や、朗詠用の和歌・漢詩を集めた『和漢朗詠集』を撰し、あの三十六歌仙を選んだのも公任です。これは、公任自身の歌にも興味が高まりますね。

大納言公任
大納言公任
『百人一首画帖』(提供:嵯峨嵐山文華館)より

目次
藤原公任の百人一首「滝の音は〜」の全文と現代語訳
藤原公任が詠んだ有名な和歌は?
藤原公任、ゆかりの地
最後に

藤原公任の百人一首「滝の音は〜」の全文と現代語訳

誰もが認める超一流の文化人だった公任の影響力を表す和歌が、

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

『小倉百人一首』の55番に収められています。現代語訳は、「滝から流れる水の音は、聞こえなくなって長い年月が経ってしまったけれど、その名声だけは流れ伝わって今でも世間によく聞こえることだ」。

「絶えて久しく なりぬれど」の「ぬれ」は、事がすでにそうなっていることを表す完了の助動詞の已然形ですので、「絶えて長い年月が経ったけれど」という意味になります。「名こそ」の「こそ」は強調、「流れて」は流れ伝わること、「なほ」は「それでもやはり」という意味です。

「音」と「聞こえる」、「滝」と「流れ」という縁語をしのばせているのも特徴です。

実はこの歌の「名こそ」が、名古曽(なこそ)の滝という、滝の名の由来となりました。次に紹介する「この和歌が誕生した背景」で解説しましょう。

大納言公任
『百人一首画帖』(提供:嵯峨嵐山文華館)より

この和歌が誕生した背景

『拾遺和歌集』の詞書(ことばがき)には「大覚寺に人あまたまかりたりけるに、古き滝を詠み侍りける」とあります。長保元年(999)9月、藤原道長に伴い、京都・嵯峨にある大覚寺の滝殿を訪れた時、もしくはのちの宴会で詠んだ歌だといわれています。

大覚寺は、もとは嵯峨天皇の離宮でしたが、天皇の死後100年以上が経ち、庭園はすっかり荒れていたようです。その庭園に造られたのが有名な大沢池(おおさわのいけ)で、その一角に小さな滝が築かれていました。公任は、すでに枯れてしまっていた滝に、往時の美しさや流れる水音を思い、この和歌を詠んだのです。

そして公任が「名こそ」と詠んだことで、いつしか枯滝は、「名古曽の滝」と呼ばれるようになりました。さすがは、公任ですね。今でも大沢池には、「名古曽滝跡」の碑が立っています。

藤原公任が詠んだ有名な和歌は?

数多くの秀歌の中から、公任らしいエピソードの残る和歌を紹介しましょう。

1:小倉山 嵐の風の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき

「小倉山や嵐山から吹き降ろす風が強く寒いので、紅葉の葉が散りかかって、人々がまるで錦の衣を着ているかのようだ」

紅葉が人々の衣服の上に散りかかる様子が目に浮かぶようです。

出典は『大鏡』。藤原道長が大堰川(おおいがわ)に漢詩・管弦・和歌の舟を出し、それぞれに達人を乗せることにしました。いずれにも優れていた公任がどの舟に乗るか、道長も注目。公任は和歌の舟を選び、この歌を詠んで絶賛されました。しかし、公任は、「漢詩の舟を選んだならもっと名声が高まったのに」と悔やんだといいます(三舟の才/さんしゅうのさい)。

ちなみに『拾遺和歌集』では、
朝まだき 嵐の山の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき
となっています。公任が書き換えたのか、誰かによる改変か。それは定かではありませんが、歌集に入れるとき、撰者が手心を加えることはあったようです。いずれにしても秀歌であることに、間違いはありません。

2:春きてぞ 人もとひける山里は 花こそ宿の あるじなりけれ

「春がやってきて、ようやく人も訪れてきた。この山里の家の主人は桜だったのだな」

『拾遺和歌集』に収められています。見事に咲いた花(桜)を詠みつつ、訪れる人の目的は自分ではなく花見であるという、少しの寂しさも感じられますね。山里の宿とは、公任が営んだ北白川の山荘のこと。周囲は桜が美しく、多くの来客があったようです。

たとえば、和泉式部に恋人・敦道(あつみち)親王が同伴し、この山荘の桜を詠みました。

3:紫の 雲とぞみゆる 藤の花 いかなる宿の しるしなるらむ

「まるで紫の雲のように見事に藤が咲き誇っている。この家にどのような吉兆が起こる前触れなのだろうか」

藤原道長の長女・彰子が、一条天皇に入内するときの調度の屛風に貼られた屛風歌です。藤は藤原氏の象徴でもあり、藤原道長の家系の栄華を称え、彰子の入内を祝う内容。『今昔物語集』には、この歌を披露し、称賛を浴びた様子が描かれています。

藤原公任、ゆかりの地

邸宅のあった場所など藤原公任のゆかりの地を紹介しましょう。

1:嵐山・大堰川

平安時代、多くの貴族が嵐山に山荘を営み、「三舟の才」の逸話の舞台となった大堰川では舟遊びが繰り広げられました。その様子は、現在、毎年5月の車折(くるまざき)神社の祭礼「三船祭」であでやかに再現されています。

2:大覚寺・大沢池

平安時代初期、嵯峨天皇の離宮だった大覚寺。公任が「名古曽の滝」を詠んだ大沢池はその苑池で、古くより月見の名所として知られています。

3:膏薬辻子(こうやくのずし)

京都の中心部、四条通と綾小路通をつなぐ路地。四条大納言と呼ばれた公任の邸宅・四条宮はこのあたりにありました。近隣の発掘調査では平安時代の園池の跡も見つかっています。

最後に

祖父、父ともに関白・太政大臣を務め、藤原家のサラブレッドだった大納言公任。政治権力は同世代の藤原道長に握られますが、博学多才、芸術家としては他の追随を許さず、時代を経ても色褪せることのない、優れた和歌を多く残しました。政権の中枢から少し距離のあったことで、かえって功を奏したのかもしれませんね。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/深井元惠(京都メディアライン)
HP: https://kyotomedialine.com FB
校正/吉田悦子
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)

●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp

 

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