儀同三司母(ぎどうさんしのはは)とは、高階貴子のことです。関白・藤原道隆(藤原道長の兄)の妻であり、儀同三司とは、嫡男・伊周(これちか)の官職名。あの清少納言が女房として仕えた一条天皇の中宮・定子の母、というほうがわかりやすいかもしれませんね。

高階貴子は和歌を得意として詩や漢文にも長け、円融天皇の内侍として宮仕えしたほどでした。「女房三十六歌仙」にも選ばれている貴子はどのような歌を残したのでしょうか。

高階貴子
儀同三司母
『百人一首画帖』(提供:嵯峨嵐山文華館)より

目次
儀同三司母の百人一首「忘れじの〜」の全文と現代語訳
儀同三司母が詠んだ有名な和歌は?
儀同三司母、ゆかりの地
最後に

儀同三司母の百人一首「忘れじの〜」の全文と現代語訳

家格は高くなくても、その才媛ぶりが道隆に見初められた高階貴子。『小倉百人一首』には、新婚時代の歌が収められています。

忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな

この和歌は『小倉百人一首』54番です。現代語訳すると、「いつまでも忘れない、というあなたの言葉が、遠い未来まで変わらないということはないでしょう。それならば、(その言葉を聞いた)今日を限りに命が尽きてしまえばいいのに」。

なんと切ない女心でしょう。

「忘れじの」は、「忘れないよ」という意味。「じ」は打消の意志を表します。「行く末」は将来や未来、「かたければ」は漢字で「難ければ」と書き、「難しいので」という意味になります。「ともがな」とは、「~であってほしい」。「と」は結果を表す格助詞です。

高階貴子
儀同三司母
『百人一首画帖』(提供:嵯峨嵐山文華館)より

この和歌が誕生した背景

この歌は『新古今和歌集』にも掲載されていて、詞書には、「中関白(道隆)通ひ初め(かよひそめ)侍りけるころ」とあります。つまり、夫・道隆が、貴子の家に通いはじめた頃に詠んだもの。

当時、貴族社会では、結婚に至るまで男性は女性の家へ通い、正式な結婚となれば屋敷を構えて同居するスタイルでした。結婚式をあげ、最初に正式な妻となった女性が嫡妻(北の方)です。貴子も嫡妻ですが、立場が安泰というわけではありません。夫は他の女性が気に入れば、その家へ通って恋愛関係を持ち、嫡妻がないがしろにされることも少なくありませんでした。また、夫が高い地位の女性と結婚した場合、嫡妻の座はそちらに譲ることになります。

貴族社会は、男性社会です。今日がとても幸せな分、なおさらに男性の心変わりが不安になるのは当然のことでしょう。

儀同三司母が詠んだ有名な和歌は?

貴子は夫や子への思いを歌に託しました。そのいくつかを紹介します。

1:ひとりぬる 人や知るらむ 秋の夜を ながしと誰か 君につげつる

「秋の夜が長いことは、独り寝する人が知ることでしょう。独り寝したことのないあなたは、秋の夜が長いと誰からお聞きになったのですか」

『後拾遺和歌集』に収められていて、詞書に「中関白かよひはじめけるころ、夜がれして侍りけるつとめて、こよひは明かし難くてこそなど言ひて侍りければよめる」とあります。道隆が「この夜は長く感じたよ」と言った言葉に対して、「誰かを待ちながら独り寝したことのないあなたが、どうして秋の夜が長いなんて知っているの?」と、嫉妬混じりに返した歌です。

2:あか月の 露はまくらに おきけるを 草葉のうへと なに思ひけん

「今まで、露は草葉の上に置くものとばかり思っていましたが、暁の露(わが涙)は、私の枕の上に置いていますよ」

こちらも『後拾遺和歌集』より。道隆が他の女性の家から明け方に帰ってきたものの、結局、貴子のもとへは寄らなかったときの歌です。

3: 夢とのみ 思ひなりにし 世の中を なに今さらに おどろかすらむ

「あなたとの仲は夢だったと思うようになっていたのに、どうして今さら目を覚ますようなことをするのですか」

『拾遺和歌集』より。中納言平惟仲(たいらのこれなか)が、突然手紙を送って来たことに対する返歌です。この出来事は道隆の死後のこと、ふたりの仲に想像が膨らみますね。

4: 夜のつる 都のうちに こめられて 子を恋ひつつも なきあかすかな

「夜の鶴は籠の中で子を思って鳴いたというけれど、私は都の内に足止めされて、子を恋しく思いながら泣き明かすのだなあ」

『詞花和歌集』より。花山法皇に矢を射た事件(長徳の変)で、息子・伊周と隆家は太宰府、出雲へ左遷が決まりました。貴子は太宰府への同行を望みますが叶わず、伊周が翌年に都に戻ってきたときには、貴子はすでに亡くなっていました。

儀同三司母、ゆかりの地

現在、高階貴子を感じられる唯一といえる場所は、京都市中京区の押小通路釜座(おしこうじかまんざ)西北角に立つ「東三条殿」の碑ではないでしょうか。東三条殿は摂関家嫡流の屋敷で、藤原兼家亡きあと、道隆に継承されました。貴子はここで娘・定子を一条天皇の中宮として送り出します。

最後に

女性ながら殿上での詩宴に招かれるほど、才媛で知られた儀同三司母(高階貴子)。愛する道隆との間に伊周、隆家、定子らを授かり、幸せな日々を送っていましたが、道隆の死後、息子たちは没落し、その身を案じながら失意のままに生涯を終えました。

夫を思い、子を思う、素直な心情に溢れた儀同三司母の歌は、時代を超えて多くの人の心を打つとともに、当時の貴族の女性が置かれた状況を今に伝えています。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/深井元惠(京都メディアライン)
HP: https://kyotomedialine.com FB
校正/吉田悦子
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)

●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp

 

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