文/池上信次

最近ではめっきり少なくなりましたが、かつてはコンサートには司会者がつきものでした。1970年代までくらいのライヴ・アルバムではその雰囲気を伝えるために、冒頭に司会者による「呼び込み」を収録したものが少なくありません。ジャズ・ファンなら即座にいくつも思い出すものがあると思います。司会者のアナウンスは、ライヴをより印象的にする要素のひとつなのです。それらのアルバムでもっとも有名なもののひとつが、『モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンス』(以下『モントルー』)。1968年の第2回モントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ・アルバムです。

このアルバムは、「ミダン、ミドマゼル、ミシュー(Mesdames, Mesdemoiselles, Messieurs. 英語でいうところのLadies and Gentlemen)、ドラムス、ジャック・ディジョネット!」というフランス語のアナウンスで始まります。続いてエディ・ゴメスとビル・エヴァンスの名前が呼ばれ、間髪入れずに1曲目「ワン・フォー・ヘレン」が始まります。共演者は言い過ぎですが、もうこれは曲のイントロの一部のように記憶されている人も多いのではないでしょうか。フランス語=異国=モントルーという強い印象を残しています。この司会者は、モントルー・ジャズ・フェスの創設者のひとり、ジオ・ヴマール(Géo Voumard)です(同フェスはクロード・ノブスとルネ・ランゲルとヴマールにより創設)。


『モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンス』(Verve)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)、エディ・ゴメス(ベース)、ジャック・ディジョネット(ドラムス)
録音:1968年6月15日
スイス、レマン湖畔のモントルーで開催される「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」は1967年に第1回が開催され、エヴァンスは第2回に出演。このアルバムはグラミー賞「ベスト・ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム」を受賞しました。またこれによって、モントルー・ジャズ・フェスは広く世界に知られることになりました。

アメリカの作詞家で音楽評論家のジーン・リースが書いたオリジナルのライナーノーツの最後には、ヴマールがこう紹介されています。「トリオを紹介している声の主はジオ・ヴマール。彼はラジオ・スイス・ロマンドのジャズ担当者で、フェスティヴァルの音楽コーディネーターでもある。以前とても素晴らしいピアニストだったジオは、ステージのあとにこう言った。〈今夜から私はまたピアノを始めるよ〉」。そして、「これは、このフェスでエヴァンスが得た最高の賛辞だと思う」とリースは締めくくっています(以上大意)。エヴァンスの演奏は、かつてピアニストだった男の心にふたたび火を点けた、というわけです。

ジオ・ヴマールは1920年生まれ。1940年代半ばからジャズ・ピアニストとして活動を始め、48年には自身のグループを結成。52年にラジオ・ローザンヌ(のちのラジオ・スイス・ロマンド)で音楽プロデューサー、作曲家、伴奏者として活動し、66年からは同局のポップス番組のディレクターに就いています。リースがヴマールを、フェスの創設者ではなく元ジャズ・ピアニストの放送局員にしてしまっているのは、「ストーリー」を作りたかったのか、たんなる勘違いなのか。ヴマールはこの前年の67年にアルバムをリリースしています。まあ、そこでやめてしまったのかもしれませんが。そしてその後のジャズ・ピアニストとしての活動は、活発になることはなく長期にわたって断続的なものでした。しかし、火は点いていたのか、ヴマールは2000年にジャズ・ピアニストとして、このモントルー・ジャズ・フェスのステージに立ち、ライヴ・アルバムも残しました。リースの「ストーリー」は、当人たちもきっと予想していなかったであろう形で完結したのでした。人にドラマあり。なお、ヴマールは2008年に87歳で、リースは2010年に82歳で亡くなっています。

さて、この「冒頭のフランス語のアナウンス」ですが、『モントルー』が有名になったからでしょう、この後も多くの同フェスのライヴ・アルバムに登場します。

まず、エヴァンス本人。同フェスにエヴァンスは1968年のあと、70年、75年の計3回出演しています。70年、75年はそれぞれ『モントルーII』(CTI)、『モントルーIII』(Fantasy)としてライヴ・アルバムが発表されていますが、どちらも冒頭は司会者によるアナウンスです。『II』は「ミダン、ミドマゼル、ミシュー」でスタート。そのあとのメンバー紹介も明らかに『モントルー』を意識しています。関係者一同『モントルー』が気に入っていたのでしょう。『III』は名前を呼ぶだけですが、英語とは異なるアクセントで異国情緒はたっぷり醸しだされています。

1970年に主演した渡辺貞夫のステージは『モントルー・ジャズ・フェスティヴァルの渡辺貞夫』(Sony)として発表されましたが、この冒頭はフランス語のアナウンスです。「サデオ・ワナタベ」(爆笑しているのはメンバーか?)はご愛嬌ですが、これもまた一興というところ。さらに渡辺は5年後の75年にも出演しており、こちらは『スイス・エア』(Sony)で聴けますが、フランス語と英語でのアナウンスが冒頭に収録されています。こちらはちゃんと「サダオ・ワタナベ、ウェルカム・バック!」となっています。

1980年には松岡直也が自身のグループ「ウィシング」を率いて出演。『ライヴ・アット・モントルー・フェスティヴァル』(Warner)の冒頭は、フランス語と英語が混ざったアナウンスとメンバー呼び込みで始まります。これを聞くと現地では「ナオヤ・マツオカ・アンド・ヒズ・ビッグバンド」の名前だったようです。

1981年、チック・コリアはジョー・ヘンダーソンらとカルテットで出演。この『ライヴ・イン・モントルー』(Stretch)も司会者によるメンバーの呼び込みから始まります。ほとんど名前だけですが、「モントルー感」はバッチリというところ。

そして1995年には、村上ポンタ秀一の「ポンタ・ボックス」が出演。このライヴ・アルバム『ポンタ・ボックス・ライヴ・アット・ザ・モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』(JVC)は、ジャケットもエヴァンスの「お城」を引用、「ナルディス」を演奏するなど、エヴァンスを意識したアルバムになっています。もちろん冒頭は司会者のアナウンス。名前の紹介だけで、フランス語が入らないのは惜しい(?)ところ。ポンタは「元祖」ジオ・ヴマールを探したが適わなかった(本人談)というエピソードもあります。

ジャズにおいて、フランス語のMCは、モントルー・ジャズ・フェスを表す「サウンド・ロゴ」(とは誰も呼んでいませんが)として、歴史に残ったのでした(ただし、マイルス・デイヴィス『イン・ヨーロッパ』は例外)。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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