「家裁の育ての母」ともいわれ、退官後も活躍

原爆裁判の判決文を書き終えたのち、東京家庭裁判所判事となり5000人超の少年少女の審判を担当。非行に走った子を指導し、立ち直りを支援しました。昭和47年(1972)、新潟家庭裁判所長に任命され、初の女性家庭裁判所長となります。昭和48年(1973)11月に浦和家裁所長、昭和53年(1978)1月、横浜家裁所長に就任。

横浜家裁の時代には、調停室の壁を明るい白に塗りかえて絵を飾り、カーテンを新調。昼休みには廊下に静かな音楽を流しました。家庭問題で悩みを抱えた人々の心を、少しでも和ませようとの心遣いからであったといいます。講演活動も積極的に行ない、家庭や社会が少年問題に理解をもって協力することの重要性を訴えました。

昭和54年(1979)11月13日、定年退官。退官後は弁護士を開業し、労働省男女平等問題専門家会議座長、東京家裁調停委員兼参与員、東京都人事委員会委員、労働省婦人少年問題審議会委員などの要職を歴任します。

「家庭裁判所の育ての母」ともいわれた嘉子。昭和59年(1984)5月28日、69歳で亡くなりました。

まとめ

自らの力で新しい道を切り拓き、法曹界における女性活躍の先駆者となった三淵嘉子。困難がありつつ華やかに活躍したイメージもありますが、こんな言葉を残しています。「自分に力をつけて、そして人間らしく生きていこうという気持ちが強く、職場でも地味に働いていました」(明治大学 短期大学創立50周年記念講演より)。三淵嘉子の生き方は私たちに自信と勇気を与えてくれるはずです。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

引用・参考/
NHK解説委員室
明治大学史資料センター
『日本人名大辞典』(講談社)

文/深井元惠(京都メディアライン)
イラスト/もぱ(京都メディアライン)
HP: https://kyotomedialine.com FB

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