生後7か月の天皇という政治混乱
『光る君へ』では、自分の娘を天皇に入内させ、誕生した皇子が皇位につくことで政治の実権を握るという「摂関政治」の時代が描かれている。天皇は幼くてもかまわないということになるのだが、摂関政治から院政期に転換した平安末期には、鳥羽天皇(後に上皇)などにより、崇徳天皇(鳥羽天皇の第一皇子で即位時の年齢は5歳=満年齢で3歳7か月)、近衛天皇(鳥羽上皇の皇子。3歳=満年齢で2歳5か月で即位)、六条天皇(父は二条天皇、祖父が後白河法皇=満7か月11日で即位)など、幼帝が珍しくなくなる。
歴代天皇でもっとも若年(満年齢で生後7か月)で即位した六条天皇は、2012年の大河ドラマ『平清盛』でも登場している通り、院政期から平家政権へ移行しようという政治的混乱の中で実現したものだった。
そして、院政から平清盛が実権を握る時代になり、高倉天皇に入内した清盛の娘建礼門院徳子所生の安徳天皇が3歳(満年齢1歳3か月)で即位する。安徳天皇は、源平合戦に巻き込まれ、壇ノ浦に入水したのは8歳の時だった。
『光る君へ』で描かれる平安中期は、女房らによる文学作品が多数生み出されたり、打毬など雅な王朝文化が花開いた。だが、そうした文化も摂関政治というスキームが破綻して、武士の世に移行する中で、変化していくことになる。『光る君へ』で今後描かれる藤原道長の盛隆は、時代が武士の世へと変貌していく序幕の側面もあることに留意したい。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり