九条兼実の日記に記された「惟規の子孫」

A:惟規の子孫藤原邦綱もまた、惟規同様に大学から這い上がった人物です。関白藤原忠通の家司となると、力を増していた平清盛にも接近しました。忠通の死後、基実(もとざね)の代になった際に事件が起こります。清盛の長女でまだ10歳にも満たない盛子が20代の基実に嫁ぎます。ところが基実は24歳で亡くなってしまう。この際に藤原邦綱は基実の遺領の多くを盛子が継承するように工作したといいます。藤原摂関家の財産が平家に移譲されるという大事件です。

I:先祖の為時、惟規とは異なり、邦綱はアグレッシブな人間だったんですね。

A:邦綱が亡くなった際に、日記に評伝を書き残したのが道長の「孫の孫の孫(昆孫)」の九条兼実。彼の日記『玉葉』治承五年閏二月二十三日条には「邦綱卿は、卑賤より出ずといえども其の心廣大なり。天下の諸人貴賎を論ぜず、其の経営を以て偏に身の大事となす。ここに因りて衆人惜しまざるはなし」と持ち上げているのですが、邦綱の出自を「卑賤」と称していることに注目です。

I:藤原兼家(演・段田安則)と藤原為時は5代前の藤原冬嗣が共通先祖ですから、同族といえば同族。そこで「卑賤」呼ばわりするとは、摂関家の高慢さがあらわれている感じがします。

A:まあ、前述の摂関家の財産を平家に移譲してしまった事件に立腹していたこともあるのかと思います。同じ日の日記には「平禅門の藤氏を滅亡する、此の人頗る其の事に与る」と清盛の策謀に邦綱が関与したことに触れた後に、「神罰を蒙った疑いがある」「恐るべし 恐るべし」としています。『玉葉』については、国立国会図書館のデジタルコレクションで原点の活字本にあたることができますので、興味のある方はぜひ!

高杉真宙の子孫が岡本信人? 次ページに続きます

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