日本の春景を象徴する美が桜であるなら、日本の美を体現する究極の存在として最高の評価を与えられるのが国宝指定の美術品である。ここでは、そんな国宝指定作品の中でも孤高の存在ともいうべき、桜を主題に描いた傑作の魅力を余すことなくご紹介するため、引き出し付録による全図と原寸大の部分図を掲載。さらに、日本美術の国宝作品に表現された桜の風景をご紹介する。
ここにご紹介する『桜図壁貼付』(以下、『桜図』)を描いた長谷川久蔵は、桃山時代を代表する絵師・長谷川等伯の息子で、この作品を描いて程なく、弱冠26歳にしてこの世を去ってしまった、夭折の画家でした。
この作品は天正19年(1591)、豊臣秀吉の長子だった鶴松が僅か3歳という幼さで亡くなったことをうけ、その菩提を弔うために秀吉が創建した祥雲寺の内部空間を飾る障壁画の一部として描かれたものです。
当時、天下人の御用絵師として桃山画壇に君臨した狩野永徳は既に亡く、代わって秀吉に重用されたのが能登の七尾から都に上って頭角を現していた長谷川等伯とその一門だったのです。
このときに描かれた障壁画のうち、度重なる災禍を掻い潜って現在、智積院の国宝障壁画群として現存しているのが、この『桜図』をはじめ、父の等伯による『楓図』や『松に秋草図』などの6種類の襖や壁貼付です。
他に類例を見ない画題
この作品の何よりの見どころは、以降の図版を見ていただければ一目瞭然ですが、無数に描かれる八重桜の花弁の意匠化された表現でしょう。桜の花弁は全て正面向きに描かれ、さらにはすべての花弁がこれでもかと盛り上げられ、まるで干菓子の落雁のように見えること。これは花として描かれる下地に胡粉という貝殻の粉でできた白い絵の具をたっぷりと盛り上げて下地をつくり、その上に意匠化した花弁を描いているのです。これは是非とも現地で絵を斜めから実見していただきたいところです。
また、父親の等伯による『楓図』が、この時代を象徴するかのように、ある意味で暴力的なまでに豪壮な巨木として描写されるのに対し、この久蔵の『桜図』は「やまと絵」的な抒情性を孕んだ、しなやかでたおやかな印象の画面で構成されている点が注目に値します。
この時代、桃山文化を象徴するような絢爛で豪華な障壁画が数多く描かれましたが、桜を主題に据えて、それ自体を単体で画面構成するという作品は類例がないんですね。ひょっとすると、「醍醐の花見」でよく知られるように、無類の桜好きで知られた太閤秀吉から、春の情景を描く場面には是非もなく桜を描いてほしいという強い要望があったのかもしれません。
そんな風に想像しながら鑑賞すると、描かれた往時の状況が垣間見えてさらに有意義な鑑賞体験になるでしょう。
見どころ解説 山下裕二さん
(明治学院大学教授、美術史家・65歳)
長谷川等伯一門が手がけた、国宝障壁画を所蔵する智積院
現在、長谷川等伯とその一門が手がけた、桃山時代を代表する障壁画群を所蔵する智積院は、もと紀州根来寺山内に開かれた真言宗智山派の総本山である。
東山七条の東側一帯に、広大な寺域を占める東山随一の大寺として発展した智積院。その端緒は、慶長6年(1601)、徳川家康から豊臣秀吉による遺構であった豊国社の一部を与えられ、中興第一世と称されることになる玄宥(げんゆう)が、寺院を再興したことにある。
さらに家康は、夭折した長子・鶴松のために秀吉が建立した祥雲寺の広大な敷地や建物などをすべて智積院に帰属させ、現在の大寺の礎を築かせることとなるのだ。この際、長谷川等伯一門により描かれた『楓図』や『桜図』などの祥雲寺の障壁画群も智積院が所蔵することとなったのである。
稀有なる鑑賞体験
現在、これらの国宝障壁画群は、境内にある宝物館にて常設展示されている。桃山時代を象徴する絢爛にして豪壮な障壁画の数々を、描かれた当時とほぼ同じ場所で、しかもオリジナルの状態で常時鑑賞できる寺院は、実は京都でもほとんどなく、大変に貴重だ。
智積院拝観案内
開院時間:9時〜16時
拝観料:「宝物館」一般500円、「名勝庭園(大書院、講堂含む)」一般300円 ※いずれも12月29日〜31日は拝観休止。宝物館は展示替えのため1月31日、4月30日、7月31日、10月31日は休館。
京都市東山区東瓦町964
電話:075・541・5361
交通:京都駅より京都市バスで約10分、東山七条バス停下車、徒歩約3分
●桜の見ごろ 毎年4月上旬 https://chisan.or.jp
※この記事は『サライ』本誌2024年4月号より転載しました。