日本版ポロ、打毬。道長(演・柄本佑)の雄姿に女子たちがときめいた。(C)NHK

ライターI(以下I):『光る君へ』第7回では、藤原道長(演・柄本佑)ら上級貴族が打毬と呼ばれる球技を行なう様子が描かれました。このシーンの撮影は2023年8月22日~23日に栃木県壬生町でロケが行なわれたそうです。

編集者A(以下A):両日ともに気温が30度を超えていたようです。天気も晴れではなかったようなので、天候を気にしての撮影だったと思われます。昨年の『どうする家康』ではCGが多用されて、ロケは限られた回にしか登場しませんでした。撮影計画を立てる段階では、コロナ禍がいつまで続くかという頃だったと思われますので、苦渋の決断だったと思われます。今年の『光る君へ』ではロケが多く、やっぱりロケはいいな、と感じている視聴者も多いかと思います。

I:昨年のロケ終了後に「馬を走らせながら、同時にスティックを振り抜くことはとても難しく、昨年の秋ごろから撮影に向けて練習を積み重ねてきました。達成すべきハードルが非常に高い分、演じるうえでも大きなやりがいを感じています」という道長役の柄本佑さんのコメントが発表されています。ああ、人知れず努力を積み重ねたうえで、このシーンに結実したのかと感慨深いです。劇中では打毬を観戦するために、源倫子(演・黒木華)ら、「女子会」の面々も集まりました。五節の舞の際には、男性貴族らが舞を見るために集まっていましたが、「出会い」の場を積極的にもうけていたのかなと思ったりしました。

A:さて、打毬は、英国などで行なわれる馬術競技の「ポロ」と起源が同じようです。なんでも現代のイランにあたるペルシャが発祥のようです。

I:宮内庁ホームページの受け売りですが、弘仁13年(822)、渤海(ぼっかい)国の国使が豊楽殿で打毬を行なったという記録があるそうです。当時の唐では盛んだったとういうことで、唐→渤海経由でわが国にもたらされたという説が有力だそうです。

A:渤海国ですか。この国は、698年から926年までの間に現在のロシア沿海部、中国の一部、朝鮮半島の一部を領土とした国で、その間に30回以上日本に使節を送り込んで来たそうです。以前雑誌『サライ』で連載していた「半島をゆく」で能登半島を取材した際に志賀町に「福良津」跡がありました。渤海からの使節が寄港した港があったそうで、古代にはかなり繁栄したようです。

I:同じく宮内庁ホームページの受け売りですが、承和元年(834)には四衛府の武者が打毬をしたということが『続日本後紀』に記録されているようです。四衛府とは左衛士府、右衛士府、左兵衛府、右兵衛府の内裏の守護を司る役所です。

A:劇中の時期は、道長が右兵衛権佐ですから道長が本当に打毬していたかもと想像できますよね。平安期には天覧行事などでけっこう盛んに行なわれていたようですが、鎌倉幕府ができて、承久の乱などを経て、朝廷の力が衰えたために次第に行なわれなくなったのは残念ですね。

I:武士の世になって、犬追物や巻狩りなど軍事教練を兼ねたものが盛んになりましたが、朝廷での行事としては衰退したのは残念ですね。

A:それでも、江戸幕府の八代将軍吉宗の時代に復活したそうです。もっぱら軍事教練のためのようですが、この時代はすでに戦乱の世が終わって久しいですから、ノスタルジー的な側面もあったんでしょうね。

I:ラルフローレンのロゴでもおなじみのポロですが、英国のポロからユニフォームが「ポロシャツ」として今も伝えられています。日本の打毬は、明治以降に西洋馬が伝わって来た影響で完全に衰微してしまいましたね。

A:明治に入って来た西洋馬は、わが国在来の馬とは体格がまったく異なります。現在では在来馬を何頭も撮影用に調達するのは困難かと思います。そのため西洋馬で撮影されるわけですが、一度は在来馬による合戦シーンを見てみたいな、と妄想的願望ですが、言っておきましょう。

I:妄想ついでに言及しますが、世が世なら「プロ打毬チーム」があってもおかしくないのですよね。

A:プロ打毬チームですか。歴史のタイミングが何かずれていたら、そんなふうになっていたかもしれないですね……。そして、実は宮内庁には打毬を伝承保存する部署があるようなので、記しておきたいと思います。宮内庁ホームページからの引用になります。

明治以降、日本古来の馬術は西洋馬術に圧倒され、打毬もまた洋鞍を用いる現代式打毬に転化されましたが、宮内庁主馬班には、現在、江戸時代(中期頃)最盛期における様式の打毬が保存されています

I:ああ、しっかり保存されているんですね。機会があれば実際の競技を観覧したいですね。

A:山形県にある豊烈神社では毎年10月に斎行される例大祭で打毬の奉納があるそうです。こちらは宮内庁に伝わっているものとほぼ同じと聞いています。青森県の八戸市に伝わる打毬は青森県の無形民俗文化財に指定されていて、こちらは毎年8月に八戸三社大祭期間中に奉納されるようです。北海道和種の馬で競技するため、より、往時の形に近い打毬が見られるかもしれませんね。

●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。

●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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