編集者A(以下A):さて、『どうする家康』第44回では、本多正信(演・松山ケンイチ)の嫡男・本多正純(演・井上祐貴)から重要な台詞が発せられました。再来年の大河ドラマ『べらぼう 蔦重栄華之夢噺(以下、べらぼう)』の時代にもつながってくる重要な台詞です。具体的には、家康(演・松本潤)とのやり取りの中で正純が発した〈新しき朱子学をもって正しき人の道を広く説かねばなりませぬ。乱れた世は乱れた心から〉です。
ライターI(以下I):朱子学ですね。
A:戦国の荒れた世から平和な世に転じるにあたって、家康は政道の基本原理として朱子学を採用しました。藤原惺窩(ふじわら・せいか)が基礎を固め、門弟の林羅山らによって体系化されていきます。一作年の大河ドラマ『青天を衝け』で主人公だった渋沢栄一が『実験論語処世談』の中で説明している文章がわかりやすいので引用します。
家康は関ケ原の乱も平いで愈々天下を一統するやうになるや、民心を統一するには正心誠意を標榜し、仁義礼智を説く朱子学を以て最も功のあるものだと稽(かんが)へたので、斯方面に(藤原)惺窩を重用したのである。
とあります。
I:『青天を衝け』の渋沢栄一の文章を引用ですか。「大河つながり」ですね。
A:家康が民心を統一するために導入した朱子学は、徳川幕府の基礎を固めることに役立ちました。しかし、長い年月を経ると、商業化、近代化への対応で弊害が顕著になっていきます。江戸中期には、商業化の進展で、武士よりも商人の方が裕福となりますが、その地位は従前通り、圧倒的上位に武士がいたわけです。それがより顕著になったのが田沼意次の時代になります。2年後の大河ドラマ『べらぼう』の時代ですね。
I:『べらぼう』では、渡辺謙さんが田沼意次を演じます。
A:田沼意次は、商業化を推進し、封建体制を近代化に舵を切ろうと試みます。ところが、家康の時代に導入された朱子学が弊害になる。ざっくりいうと、封建体制化で、身分による秩序で固められた世の中で、商業化を推進すると、秩序が混乱するというのが守旧派の考えです。その筆頭が、松平定信。教科書では「寛政の改革」を主導した人物として知られていますが、田沼意次の政を批判し、失脚させた人物になります。この「権力闘争」や歴史の機微がどう描かれるのか。大河ファンにとっては楽しみなところですね。
A:はい。田沼意次といえば「賄賂政治の悪役」という見方が定番だった時代が長く続きました。しかし、学界での評価は大きく変わってきています。「水戸黄門の印篭」「大岡越前の桜吹雪の彫物」と同様に「田沼意次の賄賂政治」が強くインプットされている方は、時間をかけて修正いただきたいと思います(笑)。
I:印籠のない水戸黄門が物足りないと思う人が、「悪役ではない田沼意次だと面白くない」となる可能性はありますものね。これはけっこう重要ですよね。
A:田沼失脚後に「寛政異学の禁」を発して、朱子学以外の学問を学ぶことを禁じて封建体制の強化に走ったのが松平定信です。近年では旧態依然とした政治が指弾されるようにもなってきました。世界の中で近代化にやや遅れをとったことの原因を、田沼失脚に求める意見もあります。
I:歴史という川の流れは絶えることがないのですね。
A:ということで、『どうする家康』第44回で本多正純から発せられた台詞から「大河つながり」の話題をお送りしましたが、導入時には成果をあげたものも時代が経つに連れて弊害もでてくるという好例ですね。ざっくりいうと、江戸時代以降の「男尊女卑」の風潮も起源は朱子学の導入ともいわれていますから、現代人にも無縁の話ではないのですよね。
I:「変わらぬ価値を維持するために、変わり続けないといけない」といいますが、常にそうした意識を持つための戒めのようなエピソードですね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。
●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり