前回(https://serai.jp/hobby/1038076)、「オリジナルは映画音楽でも、映画と関係なく広まったジャズ・スタンダード」を紹介しましたが、もちろんそのものズバリの「映画音楽から広まったジャズ・スタンダード」もたくさんあります。例えば、『ティファニーで朝食を』(1961年)の「ムーン・リヴァー」、『酒とバラの日々』(1962年)の「ザ・デイズ・オブ・ワイン・アンド・ローゼズ」、『シャレード』(1963年)の「シャレード」は、公開直後に映画がヒット→楽曲がヒット→すぐに多くのジャズマンが取り上げてスタンダード化という流れになっています。ちなみに、この3曲はいずれもジョニー・マーサー作詞、ヘンリー・マンシーニ作曲です。あまりにすごい出来事なのであえて例示しましたが、この勢いもあってか、このあとも多くのジャズマンが演奏のネタとして映画音楽を取り上げました。

1965年、1本の音楽映画が世界的に大ヒットしました。そうです、『サウンド・オブ・ミュージック』です。そこからは「ドレミの歌」「エーデルワイス」など世界的なスタンダード曲が生まれましたが、ジャズ・ファンにとってこの映画は、まずなんといっても「ジャズ」スタンダード曲「マイ・フェイヴァリット・シングス」(オスカー・ハマースタイン2世作詞、リチャード・ロジャース作曲)が使われている映画という認識ですよね。


ジョン・コルトレーン『マイ・フェイヴァリット・シングス』(アトランティック)
演奏:ジョン・コルトレーン(ソプラノ・サックス、テナー・サックス)、マッコイ・タイナー(ピアノ)、スティーヴ・デイヴィス(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)
録音:1960年10月21日、24日、26日
アメリカ発売:1961年3月
のちに多くのライヴ録音を残した「マイ・フェイヴァリット・シングス」の初録音。とはいえ、ここでこの曲は大胆にアレンジされており、ミュージカル曲の本来のメロディは前半部分しか演奏されていません。


「マイ・フェイヴァリット・シングス」といえば、ジョン・コルトレーンがアルバム『マイ・フェイヴァリット・シングス』で演奏し、以降生涯の愛奏曲となった曲。それが録音されたのは……、1960年の10月。あれ? 映画公開の5年も前ではありませんか?! そうなのです、映画音楽と思われがちですが、この曲は1959年11月初演のブロードウェイ・ミュージカル『ザ・サウンド・オブ・ミュージック』の挿入歌なのです。映画と同じ曲、同じアレンジですが、初登場はミュージカル。映画はミュージカルのヒットを受けての映画化作品だったのです。

つまり、コルトレーンは「ブロードウェイ・ミュージカルの最新曲」をカヴァーしたのです。しかし、ここでのコルトレーンの狙いは、明らかにメロディーとコードの「改変」です。同じアルバムに収録されている「バット・ノット・フォー・ミー」も「サマータイム」も原メロディーとコードを大きく改変していますので(ちなみにこれらの曲は当時すでにスタンダード化しており、いずれももとはミュージカル曲)、それがわかれば狙いも伝わったかもしれませんが、「現在上演中の最新ブロードウェイ曲(=レコードほとんどなし)」のレベルでは、改変の面白さがリスナーにはまだまだ伝わらなかったのではないかという気がします。この演奏は、アルバムからシングル・カットされるほどのヒットとなりましたが、ブロードウェイ最新曲というよりも、「コルトレーンの曲」としての受け止められ方をされていたのではないでしょうか。

ジャズマンのアルバムで、この曲の演奏がよく知られるものには、ベニー・グッドマンがコルトレーンより早い1959年にリリースした『ザ・サウンド・オブ・ミュージック』全曲集があり、コルトレーンのあとでは1963年にJ.J.ジョンソンの録音があります。ヴォーカルではサラ・ヴォーンとマーク・マーフィーの録音がそれぞれ1961年にありますが、ジャズ・スタンダード的に広まっていくのは映画公開以降のようです。

ジョン・コルトレーン『ライヴ・イン・ジャパン[完全版] 』(インパルス)
演奏:ジョン・コルトレーン(ソプラノ・サックス、ほか)、ファラオ・サンダース(テナー・サックス、ほか)、アリス・コルトレーン(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、ラシッド・アリ(ドラムス)
録音:1966年7月
死去の前年の来日公演でもコルトレーンは「マイ・フェイヴァリット・シングス」を演奏しました。コルトレーンはこの曲の多くのライヴ録音を残していますが、つねにスタイルは変化しており、このころはフリー・インプロヴィゼーションが中心で、メロディーは断片的にしか演奏されません。

映画のヒットにより原曲が広く認知され、コルトレーンの「改変」アレンジの面白さはより鮮明になりました。この曲がジャズ・スタンダードとなったきっかけは、コルトレーンの演奏と映画のどちらかは判断できませんが、しかし、誰の演奏であってもどちらを基準にしたのかははっきりと表れます。説明しなくても、たくさん聴いていくうちにきっとわかると思います。聴けば聴くほど、「これ、同じ曲って言っていいの?」というくらいに2分化されてくることでしょう。同じ「マイ・フェイヴァリット・シングス」ですが、ジャズ演奏においては「ミュージカル/映画のマイ・フェイヴァリット〜」と「コルトレーンのマイ・フェイヴァリット〜」は「別の曲」と考えるほうがよさそうですね。あなたのお気に入りはどちらでしょうか。

ビル・エヴァンス『ザ・ソロ・セッションズ vol.1』(マイルストーン)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)
録音:1963年1月10日
ソロ・ピアノの演奏。録音は映画公開前で、ミュージカル最新曲であり、かつコルトレーンのヒット曲という時期。演奏が進むにつれてテンポもハーモニーもどんどん変わっていきますが、コルトレーンの改変の方向性とは異なり、ミュージカル原曲の構成がつねに意識されています。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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